2020年11月10日    庭園班の時代
 
 記憶が間違っていなければ2005年夏に始まった。タカさんが開設した「古美研ノート」への投稿は、いま思っても生涯の思い出である。毎日がたのしかった。学生時代よりたのしかったのではないだろうか。同期が次々登場し、HJの「お縄になった」という表現に思わず笑った。
 
 2005年7月6日、KY君の「サラダ記念日」は新鮮だった。「先輩諸氏の広域捜査と糾弾に耐え切れず、ついに引きずり出されてしまった」や、「食い意地のはった私としては、取り敢えず昼飯の思い出」。「野菜サラダかポテトサラダしか知らなかった私には、チキンサラダは驚きの一品でした。井上さんが常に我々より50円くらい高いものを注文していた」。
 
 こうした文言に対して、「古美研ノート」管理人のタカさんが興味を持たないはずはなかった。タカさんの趣味は工芸品(主に革細工)の手造り、特技は料理である。タカさんはつくる人なのだ。
 
 翌7月7日午前、HJが「今日は七夕」と題して投稿。同日午後、小生が「高田牧舎」、同日夕方、HKが「ドラマをみる思い」の題で感慨を書き記し、そのわずか2日後、KY君の同期MY君と連絡が取れたと投稿された。
そのとき、みな一様に喜び、特にKY君の「MY君の発見情報、感謝感激です」は気持ちがこもっていた。それといわゆる古老3名とミリンダに対してのコメントは、古い話をよくもまあおぼえているものだという内容で、食べものに関することも書かれていた。
 
 7月11日夜には四国の坊ちゃんまで登場。「苦手のパソコンはあまりさわりたくないのですが、井上先輩のヤイノヤイノの催促がくるので仕方なく」。瞬時に彼の顔が浮かび、声が聞こえてきた。ここまで盛り上がったのだから、あとは事に及ぶしかない。投稿者全員がそう感じていたと思う。
 
 掲示板出場最年少の通称ミリンダさんは、「夢のような日々」と題して記憶力のよさを背景に投稿している。彼女の配偶者は古美研出身なので、当時のことが話題にのぼることもあり、記憶に定着しているのかもしれない。
7月16日、掲示板管理人タカさん登場。「庭園班OB&OGの方々からの心温まる書き込みや励ましのお言葉、ありがとうございます」。いかん、印刷はそこで切れている。
 
 7月18日、KY君の投稿「レナウン娘」によると、「有り難や、古賀大明神。ご指摘のレナウン娘は多分私だと思います。そんなアホなことをやっていたのは私に間違いない。レナウン娘は(中略)自己流にアレンジしたもの。レナウン娘とひょうたん島の2本立てで私のサラリーマン生活が成り立ってきたような気がします」と記されている。レナウン娘は宴席の余興?
 
 2005年10月、庭園班思い出の地京都でOB会が開催された。嵐山でおこなわれたことから、アベ君が「嵐心の会」と名づけたらと提案し、2006年5月「第2回嵐心の会(東京開催)」にはタカさんも出席。タカさんは新たに庭園班専用の画像掲示板を設置。古美研ノートもパート2まで順調に進んでいた。
 
 が、2007年夏ごろから雲行きが怪しくなり古美研ノート2は炎上。2007年7月14日、古美研ノート3に「ったくう…」のタイトルでタカさんは書き込んでいる。炎上させた人間に対して庭園班の面々は沈黙した。その代わりに書かざるをえなかったのだと思う。沈黙は黙認にほかならず、黙認は容認と同じではないか。
文言はタカさん独特のユーモアに満ちていた。「またですかあ… ○○さん、いい加減にしましょうよ。みなさん、クリスチャンですか?13日の金曜日に…(後略)」。
 
 それから1年後の2008年6月以降、炎は勢いを強め、沈黙はその後も続き、庭園班専用掲示板に誰も投稿しなくなった。タカさんはどのような思いだったのだろう。
 
 炎上人は2005年夏から2007年秋までの2年余りメールや手紙で交流を深めてきた人であり、明るく、気っ風の良い人だったからなおのこと、それまで続いていた感動に冷水を浴びせられたような気分になった。
事の発端が何であったかわからない。年賀状の返事が来なかったということや行き違いもあったと思うが、その前から後輩女性の鈍感さに対して炎上人はいらいらしていたようだ。そしてそこで終わらず、にっちもさっちもいかないという展開が待ち受けていた。
 
 晩年、テレビ番組「チコちゃんに叱られる」をみていたタカさん。小生が台本作家であれば、炎上人に「目くじら立てないで、おおらかになったらどうだ。ネジはずれてんじゃねーよ!」とチコちゃんに言わせるだろう。自分ひとりで悩まず、タカさんに相談すればよかったと思うこともある。何か良い智恵を出してくれたかもしれない。
 
 2008年1月8日、「分かっちゃいるけど…」の表題で「古美研ノート3」にタカさんは投稿している。ぜんぶで20句。投稿の心境に思いをはせることなど到底かなわないけれど、下記は印象に残った10句です。
 
 
 身はしもべ 心は主人 なるものを 身に使わるる 人の多さよ
 
 焼き餅は 遠火で焼けよ 焼く人の 胸も焦がさず 味わいもよし
 
 人はただ まめで四角で 柔らかく 豆腐のように 変わらぬがよし
 
 三寸の 舌で五尺の からだをば 養いもする 失いもする
 
 物食うて 遊び暮らした そのかわり 末は食わずに 駆け回るなり
 
 おちぶれて 袖に涙の かかるとき 人の心の 奥ぞ知らるる
 
 借りるときは 頭の上に いただけど 返さぬ傘は 足下にあり
 
 年を経て 浮き世の橋を 見かへれば さても危うく 渡りけるかな
 
 欲深き 人の心と 降る雪は 積るにつけて 道を忘るる
 
 いつまでも あると思うな 親と金 ないと思うな 運と災難
 
 

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