2021年1月7日    見納め
 
 満開の桜をみて、あと何回見れるだろうと思い始めて何年たったろう。2019年春、花見で京都市内の数寺を巡り(散策&拝観「平安の春」)、印象に残ったのは安楽寿院前の桜と本満寺のしだれ桜だった。2020年春は京都ほかの観光地へ一切行かず、家で巣ごもりし、年が明けても続いている。
 
 桜でいまだに鮮烈なのはテレビ番組「京都人の密かな愉しみ」の「逢瀬の桜」(2017年5月放送=120分)と、その短縮版の「ごきんとはんな関係編」(2017年8月放送=30分)に出てくる背割堤の桜(下の画像は2016年春撮影)。番組の映像は小生の写真よりはるかにすばらしく、BGMがなんともいえなかった。
 
 「ごきんとはん」を昨年何回みたことか。10回以上はみた。常盤貴子、団時烽ルかの出演者のセリフはおおむねおぼえている。伴侶はその2名以外の銀粉蝶 シャーロット・ケイト・フォックス、伊武雅刀、深水元基のセリフをぜんぶおぼえている。特に銀粉蝶のせりふは番組をみるたびにつぶやく。
 
 短縮版は30分で今宮神社(紫野)ほかも登場。ほとんどがコメディタッチなのに背割堤のシーンは対照的。何度みてもそのたびに目頭が熱くなり、喉が痛くなる。2018年11月に永眠したOT君を思い出すからだ。
 
 背割堤の桜は毎春、関西地方のテレビ局や新聞で紹介される。しかし、OT君が背割堤の桜はきれいだと伴侶に言わなかったら見に行かなかったかもしれない。「京都人の密かな愉しみ」に背割堤の桜と哀愁をおびた音楽がなければ、こんなにも思い出さなかっただろう。
 
 小生はOT君に一度も会っていない。ハイキング・クラブを主催し、毎週のように出かけ、数々の名峰にも登ったOT君は伴侶と中学3年のときの同窓で40数年ぶりに再会。中学時代はことばを交わしたこともなかったが、OT君の自宅で開かれた還暦祝いに招待され、ハイキング大好きの奥方など10数名〜20名の参加者と共に歩いた。
 
 OT君はブログにハイキングの模様をアップしていた。伴侶はたまに参加するだけだったが、ブログはハイキングのほかにも日常に関して画像を添え頻繁に更新しており、小生はたのしみにしていた。自分も一緒に行動している気分になった。
 
 OT君は重篤な病にかかっており、医者にかからず、独自の治療をしていた。伴侶は、「茶飲み友だちがいなくなるから、病院で検査をして治療に専念してください」と言ったが、病院へ行ったときは手術不能の状態だった。彼は「十分生きたから」と言ったそうだ。
 
 OT君は「京都人の密かな愉しみ」に洛志社大学として何度も出てくる大学出身で、京都の地理に明るかった。語っても語っても語り足りない人であり、だから書けなくなる。
 
 いつかわからないが必ず見納めの日は来る。見納めもできず、家族と別れを惜しむ時間さえ持てないかもしれない。できるときにしなければ、あれよあれよという間に旅立ってしまうのだ。2019年4月の桜をみて、ことしが見納めになるかもしれないと思った。名残は惜しんできた。十分生きて、見るべき程の事は見た。
 
 時を惜しむように見る。老後の過ごし方はそういうものであると思う。
 


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