2021年4月11日    刑事モース(1)

            ドラマ「刑事モース」の出演者。右がモース、左は上司の警部サーズデイ(最初は警部補)。
 
 
 「刑事モース」は2019年までに計30作(Case1〜Case30 各90分)制作された英国ドラマだ。2013年4月だったか、最初に放送されたCase1をみた。ミステリードラマのなかでも傑出している。
1960年代、オックスフォードの小さな警察署の刑事として赴任したモース。オックスフォードは単に大学の町ではなく、そこで暮らす人々、家並み、生垣のつづく小道、パブなど見るべきものは多い。
 
 ロンドンを舞台にした刑事ドラマは、ヘレン・ミレンの「第一容疑者」、近年では「埋もれる殺意」(「39年目の真実」、「26年の沈黙」、「18年後の慟哭」)など一部を除いてこれはと思えるものがない。
地方の小さな町で撮影された連続ドラマは、かつては「名探偵ポワロ」、「ミスマープル」、「主任警部アラン・バンクス」、「ブロードチャーチ」など秀作ぞろい。ステキな場所にはうまい役者がそろう。
 
 脚本、演出、音楽、役者、ロケーションがいい。ロケーションがよければカメラマンの腕が鳴る。英国の美しい風景、どこかで聴いたことのあるクラシック音楽が効果をもたらす。モースは歴史、美術、聖書、古典音楽など博覧強記。それも捜査に役立つ。趣味はオペラ鑑賞、古いレコードのコレクション。モースの仕事ぶりも心に響く。
 
 なによりも惹かれるのは、モースをはじめモースに関わる人物の描写や縁取りが深く、変化に富むことだ。真相究明はミステリーの醍醐味なのであるが、謎が解けても人間が救われるかどうか不明。どういう結末になろうと真摯に生きていくすがたは余韻を残す。
 
 上司サーズデイ、同僚ストレンジの描写が端的でない。地元新聞社の中年女性記者ドロシア、サーズデイの娘ジョアン、途中で登場する婦警トゥルーラブが毅然として、精神的にも経済的にも自立し、他者に甘えないところに魅了される。
 
 人生は名捜査員不在のミステリーである。予想のつかない出来事。やぶ医者と同じように特定も解決もできない展開が待っている。迷路をさまよい、出られたと思ったらまた別の迷路をさまよう。
巣ごもりの昨年、すでに放送された作品の録画ダビング27作品(Case1〜Case27)の大部分をみた。Case16と18をダビングしていないのはなぜか。憤怒や不満が著しかったせいだろうか。16、18はストーリーさえ思い出せない。
 
 みるのは就寝前の90分。ミステリーファンの伴侶と一緒にみる。2021年1月2日、Case28、29、30と一挙に放送された。これは最近またみた。一度目より二度目のほうがよくわかる。一度目はストーリーと登場人物を追うのに躍起で、細部をおぼえていないことが多い。二度目はある程度余裕を持ってみられる。
 
 3年以上たった作品に関して伴侶も小生もすべての真犯人をおぼえているわけでなく、時に忘れている。おぼえている場合でも、よくできたドラマはそのつど感じるおもしろさが微妙に変化する。3月半ばを過ぎたころから毎夜一話ずつCase1からCase24までみた。おもしろいドラマをみているうちに夜は更ける。
 
 難事件をへてモースはやりきれない気持ちを洩らす。上司サーズデイが言う、「希望を持たねば」。「希望ですか、もし見つけたら教えてください」。事件は解明されたが希望はあるのか。
モースに落としどころはない。呑気で安直な、21世紀の訳知り顔の輩め、何かする前に落としどころを探してどうなる。できることはすべてやって、なお迷いの渕に立たされても決めなければならない苦悩を思うがいい。何が落としどころだ。
 
 久しぶりにモースに会い、変化に気づいたジョアンが尋ねる。「前と変わった?」。「ああ、それなりに」。ジョアンは言う、「わたしはわたしのまま」。そういうやりとりが絶妙のタイミングで交わされる。すれ違いのまま実らずとも魅力的なのだ。
 
                    (未完)

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