2021年4月13日    刑事モース(2)

 
 秀逸なミステリードラマはうまいお茶やコーヒーの数倍の値打ちがあり、手ばなせない。警部サーズデイ役ロジャー・アラムを映画館でみたのは「麦の穂をゆらす風」(1920年代初めのアイルランド独立をモチーフにした英愛独伊西の合作 2006)。彼は英軍に味方する地主役だったと思う。
 
 地主は主役の兄弟に捕まり、英軍の捕虜となっているアイルランド共和軍のメンバーとの交換を求めるが、英軍は交渉に応じず捕虜を処刑。その報復として兄弟は地主を射殺する。地主と兄弟は顔見知りで交流があった。ロジャー・アラムが頑として動じない地主を見事に演じていた。
 
 刑事モースをみたとき「麦の穂をゆらす風」の地主を思い出した。どんな警部をやるか楽しみでわくわくした。予想通りすばらしかった。モース役のショーン・エヴァンスは英国テレビドラマ「脳外科医モンロー」(2011&2012)のシーズン1「やさしい伴侶」にゲストで出ていた。モンローはジェームズ・ネスビット。
 
 モンローの患者(脳腫瘍)の夫役。なんとなく屈折した役で、手術後意識はもどるが、直後に意識不明となった妻をみかねてどこかへ行ってしまう。意識を回復した妻は夫がいないことに気づく。
モンローはその場をとりつくろい、自分の弱さに反省する夫。そういう変化を無理なく自然にやっていたので印象に残った。妻役は「ブロードチャーチ」のベスをやったジョディ・ウィテカー。
 
 ショーン・エヴァンスを初めてみたのは映画「華麗なる恋の舞台で」(加米英などの合作 日本公開は2007)。主役アネット・ベニングの不倫相手。若くて才長けて、少々生意気で。
 
 モースは仕立てのよくない、長いあいだ洋服店のハンガーにぶらさがっていた、あるいは倉庫に眠っていただろうスーツを着ている。安月給とわかっていて警察官という仕事を選んだのはなぜか。
オックスフォード大出身者で内務省やロンドン警視庁に勤めるエリート官僚はいるだろうけれど、地方警察署の平の刑事という異色の設定。見終わる前からおもしろい。
 
 エリートは体を張らないのが当たり前、体を張るのは下っ端だと思っている。モースの学友で大学のフェローとなっている者が何人かいる。学者も体を張らない。理屈をごちゃごちゃこねるだけである。そういう人間に対してモースは堂々と自分の職業を言う。彼らの顔に意外、侮り、優越感が混じる。
モースと外見もタイプも異なるが、学生時代の同好会同期に堂々として魅力的な男がいた。井川三郎と藤咲博久。ふたりとも文学部だった。心やさしく、男気があり、精神の骨格が太く、肉体は精悍にみえた。
 
 モースは腕っぷしが強くない、だが敵に向かっていく勇敢さをみせ、ひどいめにあう。刺されたり、殴られたり、撃たれたり。ドラマを追っていくうちに出自が明らかになってゆく。父と妹が出てくるからだ。家族の描き方がまたうまい。
モースが知識だけでなく経験を積んでいることもわかる。回想シーンはなく、関連性のある会話で通信兵だったとつぶやくだけ。そういう演出もうまい。知識と情報は推理を支え、経験と綿密が核心をつく。
 
米国の刑事ドラマ、特にFBIものはカーアクション、格闘、濡れ場が多い。そういう場面を多用し、くだらない会話や茶番で時間を稼ぎ、肝心の真相究明や人物描写に重点を置かないドラマはみるだけ時間のムダ。そこがちがう。英国はどうでもいいシーンを入れず、筋をじっくり追い、説明を省いて類推に任せ、納得のいくシーンと意表をつく展開を巧みに配置する。
 
 態度をあいまいにし、言葉を濁し、世の趨勢にしたがい、煮え切らない人間が増えている。いいドラマとそうでないドラマのちがいをひとことでいえば、共感するかしないかである。煮え切らない人間に共感することはない。
モースやサーズデイ、ストレンジ、そしてジョアン(サーズデイの娘)、新聞記者ドロシア、新任婦警トゥルーラブの生き方に共感する。主義でも思想でもない、権威・権力に屈さず気骨を示し、弱者の味方をする人間の温かさと行動に対して。
 
 新聞記者ドロシアはモースの実力を認め、人柄も気に入っており、事件解決に役立つ貴重な情報をときおりモースに与える。出演シーンは短く目立たないが、ドラマの核になる役回り。命の危険にさらされてもドロシアは敢然と立ち向かう。
 
 2005年7月ロンドンで同時多発テロがおきたとき、BBCのテレビ取材にこたえていた女性を思い出す。顔と腕から血を流しながら言った。
「下(地下鉄)にケガ人がおおぜいいる。早く助けてあげないと。私たちは決してテロに屈することはない。」
 
 ジョアンの勤務先の金融機関が強盗に襲われ、口座を持つモースが偶然居合わせる。行員や客とともに人質になり、モースが撃たれそうになったときジョアンは必死で彼をかばう。モースは彼女の真意を知るが、そんな経験をしても、ジョアンは何事もなかったかのようにふるまい、すれ違いはつづく。ドラマ「刑事モース」の傑出する所以である。
 
                                          (未完)

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