2021年4月15日    刑事モース(3)
 
 秀でたドラマは美意識に訴える。心を奪う絶景に似て、みるは一時の損、みぬは一生の損。
 
 脚本家や演出家、監督、カメラマンの美意識は役者に伝播し、ドラマに反映される。
地方を舞台にした英国ドラマはカメラマンの腕のみせどころ。カントリーサイドの古い民家、なだらかな緑の丘、海辺の町の日没、月夜の石畳。
美しい風景にはひときわ美しい時間があって、撮影は時間を切りとる作業だ。目に映る風景と撮影した映像は必ずしも同じではないが、撮影者は美を伝えたい。
 
 美意識にはたらきかけるのが美であるなら、美の母は美意識なのかもしれず、美意識が稀薄なら美は生まれないということになるのだろうか。。英国のミステリードラマは随所に美しい風景を取り入れる。美がミステリーをひきたて印象深くすることを知っている。
生き方は変わらないとしても、その時々で思うことは変わるだろう。変わらないのは愛する者のために生かされているということだ。
 
 警部サーズデイ、警視正ブライトは女性にやさしい。モースはやさしすぎる。モース、サーズデイは使命感が強く、被害者の魂の救済のために真相を究明し、自己犠牲もいとわない。ブライトも若いころはモースと同じくらい使命感を持っていたと思わせる会話や場面がある。それをあからさまに描かないからぐっとくる。
ブライトは立場上、組織の秩序を考えねばならない。そこをどのように折り合いをつけ、どこで若いころにかえったような覚悟をするか、Case27で明らかになる。ブライトは政治の茶番につきあうような魅力のない人間ではなかった。
 
 刑事モースの大きな見せ場はCase9「腐ったリンゴ」でやってくる。一刑事の出自、ほかの登場人物の顛末にアッと言わされる。だれがこんな脚本を書き、演出したのか。「ダ・ヴィンチ・コード」などすっ飛ぶ。
 
 それ以上に感慨深いのはCase13「森の怪物」。
オックスフォード郊外の森で無惨な死体が2体発見され、モースらは推理をめぐらせる。ロンドンから来たエリート監察医はでたらめなみたてをするが、休暇をとっていた検死医デブリンがもどり、遺体に残された痕跡や残された片腕からヒョウやトラなど動物のしわざだろうと推定。
英国に大型ネコ科動物は棲息しておらず、サーカスか動物園から逃げてきたのかもしれないと検死医は言う。
 
 腕自慢のハンターは事実なら出番だと目の色を変える。警視正ブライトは若いころのインド赴任中、ベンガルトラ(体長は約3メートルあるらしい)を撃ったことがあると述べる。ハンターは信じない。先入観のかたまりのような輩。サーズデイは、警視正が言っているのだからほんとうだと言う。
 
 森の一軒家で洗濯物を干す若い母親。反対側にベビーカの赤ん坊。毛足の長い雑草をかきわけながら音も立てず謎の生物らしきものが近づいてくる。ヒツジが赤ん坊のそばにいき、飼い犬がほえる。その瞬間、ヒツジも犬もすがたを消す。このあたりの描写はありふれているが、さすがに英国、大詰がせまって刈込みのMaze=メイズの場面。
 
 森の一軒家と別の母親がベビーカーを押してメイズを散歩している。謎の生きものがあらわれるだろうと推測したサーズデイとモース、警視正ブライト、そして婦警トゥルーラブが急遽かけつける。生きものはのっしりとメイズを歩いている。
 
 急を知った二人のハンターのうち腕自慢のハンターの撃った弾は当たらず、逆襲をくらい死亡。もう一人をトラが襲おうとしたとき刈込みから突然、松明を持ったサーズデイがあらわれ、トラを威嚇。サーズデイの迫力に押されたのか、トラはきびすを返し母子とモースの方に向かう。
彼らはトラににらみつけられ動けない。モースは襲いかかってきたら自分が壁になる、その間に逃げなさいと彼女に告げる。絶体絶命。トラは飛びかかった。
 
 そこに一発の銃声。トラは一発で仕留められたのだ。ぶるぶる震えるモースにブライトは言う。「よかった。ほんとうによかった」。インド赴任中のブライトは人食いトラを退治するため同僚と村へ行く。はたしてトラはあらわれた。トラに襲われ、体当たりされたブライトは気絶する。意識が回復すると同僚は亡くなっており、ブライトの銃弾が命中しトラは息絶えていた。
 
 トラを倒したがインドの同僚は帰ってこない。自慢どころではない、トラウマになっているのだ。回想シーンはなくブライトは思い出してつぶやくだけだ。それだけで情景が浮かぶ。感動した。いい役者は観衆が内面をみつめるための一助をなすというが、われわれを自分の呼吸に合わせてしまう。
モースを救うことはできた。が、同僚は救えなかった。ブライトはいまだに自責の念をぬぐえない。「よかった。ほんとうによかった」は奥深い。人は過去の幽囚である。
 
 おりもおり、2017年4月上旬から5月下旬、シェイクスピア「リチャード2世」から「ヘンリー6世」までの「嘆きの王冠」七部作が毎週一作ごとに梅田の映画館で上映された。その四部作目「ヘンリー5世」をみて驚いた。
エクセター公をやっていたのは警視正ブライトとまったく異なる印象のアントン・レッサー。彼は「ヘンリー6世第一部」と「ヘンリー6世第二部」にも出ていた。三部作に連続出演したのは彼だけだ。うまかった。目を見張った。エクセター公はブライトと同じように清廉で篤実、まっすぐな人物だった。
 
                               (未完)
 
           「刑事モース」の警視正ブライト。アントン・レッサーが地味にやっている。


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