2021年4月29日    秀作ブロ−ドチャーチ

連続ドラマ「ブロードチャーチ」の撮影がおこなわれた町ブリッドポートのウェスト・ベイ。断崖はイースト・クリフ。
 
 
 「ブロードチャーチ」は2013年英国で制作され、2014年9月WOWOWで放送された全8話のミステリードラマである。われわれ夫婦はテレビに釘づけだった。巣ごもりにミステリードラマは不可欠。7年前に録画ダビングした「ブロードチャーチ」8話を最近、2日がかりでみた。
 
 1話約45分は感覚的に10分、始まったと思ったら終わっている。最終回は身動きできなかった。第7話のおしまいあたりで女刑事が取り調べた中年女性の過去に対して、「夫の犯行になぜ気づかなかったの」と言う。
毎回スリリングなせりふがあってストーリーを追うのに忙しく、せりふの多くは記憶に残っていない。2回目はストーリーを懸命に追っかけなくてもよく、何気ないシーンや、ふとしたせりふが重要であることに気づく。真相を知っていてもミステリーにはそういう愉しみかたがある。
 
 ブロードチャーチはシーズン1〜3まであり、断然おもしろいのはシーズン1。「書き句け庫」2014年10月13日「ブロードチャーチ」に概容を記したのでくりかえさない。
シーズン2は女性弁護士師弟が法廷闘争をだらだらやり、無罪評決を勝ち取る弟子の弁護士は師への敵愾心ムキ出し、演技過剰で評にかからない。師の弁護士も熱意を欠く。1の登場人物の描き方も粗い。
 
 ブロードチャーチは架空の名だが、イングランド・ドーセット州ブリッドポート。少年の遺体遺棄現場はブリッドポートのウェスト・ベイ、そびえる崖はイースト・クリフである。ロケーションはドラマの成否の鍵を握る。
 
 シーズン1でおなじみとなった登場人物のせりふ、登場のさせかたがシーズン3は事件の陳腐さと裏腹にシーズン1を上回る。1は疑心暗鬼にかられる実直な男性警部補の心理、間の抜けたような女性刑事を見事に描き、3は彼らのやりとりに磨きがかかる。
男性警部補アレックは女性刑事エリーに相も変わらずけんもほろろなのだが、1のときのようにエリーはかりかりせず受け流す。衝突の多かった1に較べて3は息が合っており、滑稽味をかもしている。展開の巧みさである。
 
 シーズン3(全8話)は、シーズン1に登場したマークとベスのラティマー夫妻、牧師ポール、地元新聞の中年女性記者マギーのせりふ、演出が出色。3は1の3年後(2017年WOWOWで放送)。夫マークは息子を奪われた悲しみをひきずって苦悩しており、妻ベスは犯罪被害者を支え、警察に対しても被害者の秘密を明かさない独立行政法人の職に就いている。
 
 マークは息子を殺し、無罪判決後に離婚し行方の知れない犯人の居場所を捜し当て、リバプールの近くに行って会う。彼はブロードチャーチに住んでいた知人。マークはベスに猛反対されても復讐しようとするが、すんでのところで思いとどまり、今回も抑える。しかし犯行当夜のことを知りたいと詰めよる。
 
 深夜の殺害時刻、女性と不倫していたマークは妻に知られ謝罪するのだが、自分が家にいれば息子は助かったという後悔の念にさいなまれている。断崖の上、雑草の生い茂る場所に彼らは駐車していた。そこから犯行現場は目と鼻の先。
息子が死んだのはいつだったのかというマークの問いに、君たちが別々の車に乗るのを見ていた、ウェスト・ベイに遺体を遺棄したあとだったと犯人は告げる。
 
 シーズン3でマークは息子のために何ひとつできなかったという思いを持ったままボートに乗り海に出、入水して波のまにまに仰向けになり、意識を失ったあと付近を通りかかった漁船に救助される。発見が10分おそかったら低体温で死んでいたとベスは医師から聞かされる。
 
 記者マギーは新任の女性経営者にマークに関する記事を書け、書かなければ首にすると言われて啖呵を切る。
 
 「ジャーナリストであることに誇りを持っている。何度となく重要な真実を暴き、記事にしてきた。その上で書かないと決めたの。だから私があなたを首にする。新聞社はやめてやる。もし今後紙面やウェブサイトでラティマーのことを載せたら、あなたの車のタイヤを切り裂いてやる。私が老いぼれて動けなくなるまで毎週。」
マギーは、「新聞社は辞めた、You Tubeをやる」と牧師に言う。
 
 ベスは夫婦共通の友人の牧師に激白する。「突然、家族を奪われた苦しみを知っているのに」と言い、牧師は「彼は傷ついている」とこたえ、彼女は、「みんな傷ついている、世界中がみな。なのにマークは自分だけ辛い顔をして。この世の同情もひとり占めして。
おかげでどうなったと思う?わたしは悲しめなくなる。その余地がなくなる。わたしの悲しみはあの人に押しのけられちゃう。日々かかえている心の痛みは彼と同じくらい激しくて癒えない。でもわたしは負けていない。あの人は勝手。それに弱い。いっそ助からなければ」と言う。マークへの愛は変わらない、しかし彼が変わらないかぎりやり直せない。ベスのことばはほとんど慟哭である。
 
 牧師は、「そう思うのもムリはない」と言い、ベスは、「待って、あなたは彼の気持ちを代弁するはず」。牧師が「ああ、いままではそうしてきて役に立ってない。君たち家族をずっと見守ってきた。この3年間毎晩、君とマーク、ふたりの娘さんたちのために欠かさず祈った。互いを支えあって癒やせるように。でもそんな単純じゃなかったんだ。」
 
 字面を読むだけなら特にどうということはないだろう。すぐれているのは事件でも捜査でもない、登場人物の人間像である。彼らが私たちを魅了するのだ。いい役者は、私たちがそこにいるかのような気分にさせる。各シーンの切り取りかたもうまい。声優にも気合いが入っている。
 
 ベス役ジョディ・ウィテカーは英国テレビドラマ「脳外科医モンロー」(2011&2012)の「やさしい伴侶」に出ていた。脳腫瘍の手術を受ける。そのとき屈折した夫をやったのが「刑事モース」のショーン・エヴァンス。ふたりともうまかった。
 
 シーズン1で不眠症の牧師は時々午前4時ごろ教会の庭先に立って海を見ている。。眠れないのは神に近い場所にいるからかもしれないと思えた。神が眠るという話を聞いたことはない。マークのように救いを求めていない人をどうやって救うのか。マークも牧師も町を去る。神はすでに去っていたのかもしれない。
 
 ドラマに描かれたマークとはまったくちがうけれど、目と鼻だけが2018年11月に旅立ったOT君に似ている。会ったことはなく、ブログに掲載された写真や、伴侶の話、参加したハイキングの写真で感性の豊かな彼を知っている。OT君に会おうと伴侶に言って「ブロードチャーチ」をみる。そして、いなくなった自分を探している。

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