2021年5月7日    落ち着いたら行くけん
 
 異様な世の中になってからの愉しみは学生時代の仲間ふたり(同好会の後輩)とのメールと電話。自称「四国の坊ちゃん」は年に二度か三度電話してくる。去年の晩秋以来電話はないが、愛媛県の自宅で撮った満月画像(スマホ)をメールに添付してきた。こっちも一眼レフ望遠ズームの満月画像を添付し、お月さんのやりとり。
 
 坊ちゃんは昨年6月半ば電話してきて、「落ち着いたら行くけん。行くなら平日じゃ。冬かそのあとじゃ」と言っていた。来るのはいいとして、このご時世と体調不良、気分は乗らず、手配もしいどい。コロナ収束より小生の終息のほうが早いのでは。
 
 冬はムリと思ったか、10月半ばスマホ自画撮り画像を送ってきた。元々仰山ではなかった頭髪の刈込みを、バリカン買ってきて奥さんに頼んだ。奥さんは部分的に残すのは面倒くさいと全面坊主頭に。矢も楯もたまらず横浜の仲間に送った。仲間曰く、「ギョッとしました。殿山泰司かと思った」。半年分笑いました。
 
 その話をしたら、「坊(ぼん)さんがヘをこいた」という遊びがあったと伴侶が。目をつむって唱え、振り返ったとき動いている子を見つけ、その子が鬼に代わる。「ぼんさんがへをこいた」は10文字。10秒かけるような鈍くさい子はいないだろうし、早口でも文言はわかる。
「だるまさんがころんだ」なら知っているが、「ぼんさん」は知らないと言うと、「田舎はおくれてる」。「こんど坊ちゃんと話す機会があれば言っとく」と言うと、「それだけはやめて」。
 
 最近、愉しかったのは昔の旅仲間から送ってきた川柳の文庫本、そして同好会仲間からの家事分担譚。
退職後、家事を一人になっても「独居老人としてちゃんと生活していけるように配慮している」と奥方に言われてやっているが、いいように飼い慣らされているに違いありませんというメール。
 
 小生も家事をこなしていた時期がある。食料品や日用品の買い出しは体調がわるくなければ現在も。伴侶は以前、「ご飯できたよと言ってほしい」とクチにしていた。
伴侶は子どものころ外で遊び回っていて、暗くなるころ「ご飯できたよ」の声で家に帰った。作ってもらえば楽と思っているのか、ご飯できたよと時々つぶやいている。
 
 川柳は「幕間」の「Book Review」・「仲畑流万能川柳文庫32」に紹介。
「いい物は飽きない そんなことはない」や、「宛名に殿があるのに姫はない」、「本当の息子にだって振り込まぬ」など愉しませてもらいました。
 
 川柳作者は半世紀前アフガン旅行で知り合った3歳年上の方。都内で旅の同窓会を何度かやり、小生が実家へ引き払った後、「こっちへ来ることがあったら同窓会その日に合わせる。連絡してよ」ということで、やっとこさ都内で再会したものの、その方との会話を忘れ、おぼえているのは別のうんと年上の男女との会話。空気みたいな存在は忘れるのかも。
 
 阪神大震災で被災したとき真っ先に電話をくれて、「何か要るものがあったら何でも言ってよ、送るからね」とべらんめえ調。江戸っ子気質。家事手伝い仲間も、2008年京都でおこなわれたOB会の日程を小生の都合に合わせてくれました。そういうことは忘れないものです。
 
 世の中にはどこかで支えてくれる人がいます。ありがたいです。

前の頁 目次 次の頁