2021年5月11日    AA学院

 
 川柳作者・寿々姫が文庫を上梓しなければお蔵入りしていた49年前(1972年10月)の旅行写真。
パキスタン&アフガニスタン22日間の旅の昭和47年10月から、実家に引き払った昭和50年12月までの出来事は少し書き、昭和45年から48年に交流のあった人やインドの旅仲間については多くを書いた。
 
 寿々姫(じゅじゅひめ)の瀧田眞砂子さんは中列左から3番目、赤のサファリ・ジャケットに白ボタン&黒っぽいスラックスのショートカット。文庫の写真を見た方は思い当たるかもしれない。瀧田さんの右後ろの茶帽子はツアーコンダクター栗原氏。
20代は瀧田さんほか少数名。当時、東京大学総合資料館助手でガンダーラ仏のスペシャリスト田辺勝美さんは、旅行代理店から依頼されたスーパーガイド(後列右端の背高いサングラス)。
 
 左端で右手を腰にあてている大柄男性はアフガニスタンのガイド・スレイマン氏。ソロモン王の名に由来。前列真ん中サングラス男性はバス運転手。観光バスではないよ、旧式おんぼろバス。中列真ん中にいる小生は20代前半で最年少。撮影者は同乗したボディガード。ライフル銃を放さなかった。
 
 撮影地はバーミヤンの西75キロ、バンディアミール。道路は途中で消え、60キロほど道なき沙漠。数日前、四輪駆動車でバーミヤンから移動中のフランス人夫婦が山賊に襲われ死亡したという。ボディガードが鋭い眼で周囲を見ていた。
 
 中列左端の白いつば帽子に薄青色セーターの女性(山崎さん?)は首都圏のどこかに住み、父親か舅かが竹林を所有。
帰国後、右隣の工藤さん(女性)と交流があり、1973〜88年に都内で開かれた「旅の同窓会」で工藤さんが、「おいしいタケノコをいっぱい送ってもらった」と。タケノコ好きの小生は顔に出なかったろうが、山城産より美味ではないなと思いつつ、うらやましかった。
 
 車の好きな工藤さんが斉藤さん(スレイマン氏の右、顔半分の男性)に所有車の加速、最高速を自慢する。
いわゆるゼロヨン(スタートから400メートルまでの時間)の話になって、斉藤さんが、「出足だけなら小型軽量の自分の車が速いよ」と言うと、工藤さんは小生を見て、「そんなことある。私の車のほうが速いよね」と聞いた。
 
 「150メートルくらいまでなら斉藤さんの車のほうが速い」とこたえると、斉藤さんは小生に「そうだよね」と言い、工藤さんは不満げ。斉藤さんと小生の干支は同じ。
最近(5月1日)、文庫送付の件で20数年ぶりに電話したとき瀧田さんが、「斉藤さんからも電話あった」とおっしゃっていた。「やるもんですね」(出版)と言ったら、「やるもんよ」。
 
 瀧田さんは江戸っ子気質。気っ風がよく、うわべを飾らず、気取らず、さばさばして機敏。誤解をおそれずいうと、東芝日曜劇場「女の味噌汁」シリーズで池内淳子が演じた「てまり」姐さんのように精神的にも経済的にも自立していた。
 
 瀧田さんから貴重な本を送っていただいた。スワート・ヒンズークシ紀行。「古本屋で見つけた。送ってもよければ送るよ」。ほかにも日アラビア語ポケット辞典と何か。何かは4年前の引っ越しのさい収納箱に入れて書名を忘れた。だから思うのである、忘れる前に書け。
 
 同窓会以外に都内で数回お会いし、勤務先の高田馬場駅前で立ち話して、「これ、荷物になるけど」と何かもらった。テヘランみやげだったか、カッパドキアみやげだったか、食べものではなかった。
瀧田さんの気遣いと気前のよさは、そういうことを超えて無償の投資という感じもして、申し訳なさとうれしさが入り混じった。バッティングセンターでボールを打ち続けるバッター。
 
 三鷹のAA学院アラビア語科の入学年度は同じ昭和49年。姉貴は昼間の2年間、弟分は夜学の1年。弟は憎まれ口を叩き、姉貴はやり過ごす。そういう間柄。そのうち空気のような存在になっていた。
 
 「三鷹のAA学院へ通っている」と小樽の渡辺(学生時代の下宿仲間)に言ったら、「AAか、成績超優等生みたいでいいな」と言う。当時ニューヨークかどこだったかで宝石国際鑑定士修業中の渡辺は慶応出身。うまいこと言って。
 
 AA、アジア・アフリカ語学院へは三鷹からバスに乗る。校舎のたたずまいはほとんど思い出せず、講師の数名は鮮明におぼえている。西江雅之、渥美堅持両氏は昼間教えていた。瀧田さんが「おもしろいわよ、聴きにくる?」と勧めていなければ聴講していない。盗聴だけどね。
 
 西江雅之さんはタンザニア滞在中、マサイ族だったかの部族長と養子縁組した。スワヒリ語の専門家で文化人類学者、「花のある遠景」ほかの名エッセイスト。講義は抱腹絶倒。笑うと内容を忘れる。
「家内は日本人じゃないから洗濯のやり方も違うし、歩き方も」と言っていたような。「むこうの人たちは、手足を切りとられてもぜんぜん驚きませんが、入れ歯をはずすと卒倒した」だけはおぼえている。西江さんの入れ歯では。
 
 渥美堅持さんはカイロのアズハル大学に留学。コーランをアラビア語で暗記した。中東政治&地域分析の専門家で、「イスラーム教を知る事典」の著者。両先生を通学バスの車内で何度かみかけた。人にまぎれ姿を隠す名人。特に西江さんは忍者みたいに消える。ライオンから身を守る術をマサイ族から学んだのか。
 
 AA学院はすごい人たちが目立つこともなく学生に溶けこんで生活していた。西江さんも渥美さんもその後、大学で教えるようになったが、アジア・アフリカ語学院にいたころと同じく忍者みたいに行動したろうか。たぶんしたでしょう。
過ぎ去れば、どんなに長い時間もまばたきの一瞬だ。往時のままであってほしいと思うのは人が過去の幽囚であるからだ。過去はその時点でストップし封じ込められる。
 
 途中で投げ出し実家に帰った弟分が老人となっても、20代後半の姉貴が20代半ばの弟分に話す。一瞬のまばたきは生き続け、そして消えてゆく。

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