2021年6月29日    ホタル来い
 
 「ほ、ほ、ほたる来い。あっちの水は苦いぞ。こっちの水は甘いぞ」。昭和20年代後半の初夏から梅雨にかけて裏庭の手水鉢の上をヒメボタルが飛び交っていた。ヒメボタルは陸棲で幼虫はカタツムリ、キセルガイを食べる。からだはゲンジボタルの半分ほどしかないのに発光力は互角。
緑色に点滅する小さな光が単に移動するだけに見えて、ギンヤンマ、タマムシのほうが美しように思えた。ホタルにはかなさを感じることはなかったけれど、緑光の明るくなったり、暗くなったりするのは不思議だった。1センチにも満たないヒメボタルが暗がりで飛んでも光らなければわからない。
 
 「ほ、ほ、ほたる」の歌はどこか愉しく、「あっちの水」、「こっちの水」とでまかせを言っても、ホタルに通用するわけはないと思いながら歌っていた。数日だけ光って消えるホタルはまるで自分ではないかと思ったこともあったが、数年経って裏庭でホタルを見かけることはなく、そのうち忘れてしまった。
 
 学生時代、どこだったか思い出せないがホタルを見て感じたのは、ホタルのいる風景に似合う女性と出会いたいということだった。ホタルのうしろ、あるいは前でかがやいている人。いや、そうではない、ホタルが光を失い、闇のなかに消えても自分を照らしてくれる人。
 
 経年劣化が進み、疾病によって身体が破綻をきたしてくると心も衰弱する。しかしそれまで見えなかったことが見えてくる。過去の主要人物が何であったのか見定まるのだ。それが生にも死にも見離された者の唯一の特典である。
 
 ホタルが緑色の点滅をくりかえす期間は短い。なんとも言えない慈しみに満ちた顔でホタルを見ていた祖父母を思い出す。残された時間は短く、過ぎ去った時間はさらに短い。「一寸の虫にも五分の魂」と母が時々言っていた。最近になってやっと明治18年生まれの祖父母、大正9年生まれの父、大正15年生まれの母に近づけたような気がする。
 
 光るホタルも、光る力を失い闇に消えてゆくホタルも自分自身である。旅立つ間際、祖父母と両親は緑色の光を見たのかもしれない。
 
ホタルを最後に見たのは1995年6月30日、岡山県建部町の「たけべの森」という宿に泊まったときだった。毎年利用する客に「ホタル鑑賞の夕べ」のハガキが届き、夕食後、宿のスタッフが車で近くの沢へ案内してくれた。
ホテル内レストランで夕食をとったとき客は見当たらず、客はほかに一組しかいないということだったが、ホタルを見に行ったのは私たちだけだった。ホタルはゲンジボタルで、うっすらとしかおぼえていない。アトピー性皮膚炎が快方に向かい、ホタルを見て喜ぶ伴侶の顔を見るのが何よりもうれしかった。

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