2021年7月8日    秀作アラン・バンクス(1)

 
 ノースヨークシャーの警察(ドラマではヨークシャー警察)主任警部アラン・バンクスは荒涼たるムーアに囲まれた簡素な家に住んでいる。ドラマはシーンによって焦茶色の寂寞たるムーアと、緑ゆたかなデイルを使い分ける。両者は離れた場所にあるのだが、風景の変化がドラマの奥ゆきを深める。
 
 犯罪現場に行き、聴取もおこなうバンクスは本人曰く近々50歳になり、捜査では自分の直感をアテにする。身長は186センチくらいだがそれほど大男にみえないのは、意志が強く、部下への思いやりがあるからだろう。ふだんは素っ気なく、不器用で頑固だが滋味に富む。怒っているとき、何かに悲しんでいるとき、誰かに同情しているとき、目が潤む。
 
 ハロゲイトとイルクリーのあいだには北イングランド特有のムーアが横たわり、縫うように道が走る。すれ違う車も、前を行く車も見当たらない。ハロゲイトから40数キロ、イルクリーから15キロ行けば嵐が丘の舞台ハワース。
ドラマを引き立てるのは風景である。テレビ画面のムーアを見ると風の音が聞こえてくる。アラン・バンクスの原作者も嵐が丘の光景が目に浮かんだに違いない。創る人も創られる人もムーアに生きる同じ魂なのだ。
 
 ムーアを初めて見たのは1999年6月だった。南ウェールズのカーディフ空港でレンタカーに乗り、2週間後ヨークにいた。ヨークからウィトビーに向かってA64を北東に走り、途中で左折、A169を北へ進んでいたら突然ムーアがあらわれた。
 
 窓外の景色を見ながら矢も楯もたまらず側道に入り下車した。2時間は呆然と立ちつくしていたろうか。伴侶も小生も無言だった。殺伐としたムーアに感動したのではない、ムーアは心が折れて数年を過ごしている私たちだった。自分自身に出会うとは。
 
 クライム・サスペンス「主任警部アラン・バンクス」は英国のテレビで2010年〜2016年にわたって1から5まで計32話放送された。シーズン1の途中から見はじめ最終話まで見て、おもしろかったものだけダビングし、2018年か2019年にまた見て、7月初旬から3度目を見ている。犯人をおぼえていることもあるが、それでもおもしろい。
 
 最近WOWOWで放送されている北欧サスペンスは忍耐力のある人や中高生向き。陰気でユーモアもなく、テンポがわるいし、人物の輪郭もすっきりせず、脚本も芝居も洗練されておらず、ドラマに深みもない。2話90分で済むものを、どうしようもなくムダなシーンを加えて、だらだら6話270分に引き延ばす。疲れて中断し、録画を消去する。
 
質のよいドラマを創る意欲を欠いているのか、制作能力の問題なのか、俳優が役のハラをつかんでいないのか、北欧にユーモアは存在しないのか。
ノルウェーやデンマークには質のよいドラマもある。そういうものがWOWOWで放送されないのは、低レベルでお茶を濁しているスタッフに問題がある。選択権を持つスタッフを代えるか、熱意を持ってきちんとドラマを選んでもらいたい。
 
 字幕スーパー付き米国テレビドラマに出てくる俳優はノーテンキに口先だけでふにゃふにゃ言うから深刻さがまったく伝わってこないのだ。出演者は互いに相手が何を言うか知っているが、知らないという気持ちでやらなければ芝居にならない。ダイコン役者は芝居の基本が欠けている。
 
 セリフの基本を一から学び直し、精神的指針のしっかりした英国役者のせりふ回しを見習うべきである。脚本も俳優も拙劣な中高生向きドラマを本邦に輸入し放送するWOWOWのディレクターは何を考えているのか。またFBIが主役のドラマの音楽、ドカン、ガーンというやかましい音は特にダメ。内容不足がかえって目立つ。
 
 バンクスをやっているスティーブン・トンプキンソンの独特の目と正義感、強靱な精神力、率直でわかりやすい性格。共演者の芝居も秀逸で、ともすれば暗くなりがちなこの手のドラマに潤いをもたらすのは彼らのユーモアである。中年警部を揶揄する部下はバンクスを慕っている。
 
 バンクスが思いを寄せる刑事アニーは、彼の煮え切らない態度に限界を感じている。女性警部補ヘレンは生真面目で優秀だが自己本位、その場の空気を読めない。手回しのよい刑事ケンは上司と同僚にからかわれながらも地道に調べ上げる。
 
 人生は最大のミステリーだ。謎を解くことより解かないほうがゆたかな世界もある。しかし捜査員は事件を解決しないわけにはいかない。クライムサスペンスのみどころは人間関係をじっくり追っていくことだ。何気ない人物描写が効いている。よくできた英国作品は簡素さと奥深さを両立させ、役者は脚本の読みが深い。
 
 「名探偵ポワロ」のデヴィッド・スーシェ、「ミスマープル」のジェラルディン・マクイーワン、「刑事モース」のショーン・エヴァンスがそうであるように、スティーブン・トンプキンソンのアラン・バンクスも手のうち。
バンクスはモースのように物知りではない。部下に「それは何だ?」と尋ねることが多い。いかつい男のかわいい面を表現し、従来型とは異なる愛すべき人物像でドラマの成功を導いている。
 
 トンプキンソンは「ミスマープル」の「牧師館の殺人」(2004年)に刑事役で出ていた。マープルの舞台はおおむねコッツウォルズの美しい村。彼はロンドンのような大都会よりカントリーサイドが似合う。
 
 シーズン4「過去の亡霊・後編」(2015)のラストシーンはなんともいえなかった。事件は解決した。パブで打ち上げとなったが、バンクスは老父が気がかりで参加しようとしない。
そして父に向かってバンクスは「よくわからないがアニーは結婚する」と言う。父は、「(結婚に関して)アニーはなぜ返事を渋っている。その男が結婚をかかげて大勝負に出ているというのに、おまえは何してる。くだくだ泣き言をいってる場合か」。
 
 父親に発破をかけられたバンクスは大急ぎでみなの集まっているパブに駆けつける。アニーは携帯電話に出るためパブから一歩外に出ていた。
アニー「来ないんじゃなかった?」。バンクス「実は気が変わった」。バンクス「結婚するな」。アニー「誰といるべきか教えて」。バンクス「愛してる。結婚してくれ」。アニー「どうしていまそれを言うの?」。アニーの薬指に高価そうな指輪。
 
 バンクス「OKしたのか?」。アニー「1時間前」。なんという間のわるさ。ドラマはそこで暗転、終了。笑いそうになるが胸にせまってくる。そういう芝居を何の不自然さも感じさせずやってしまう。
私生活で優柔不断な男がこれほど絵になるサスペンスドラマはほかにあるのか。ノースヨークシャーの風景、バンクスの個性と芝居は三度目をみても飽きず、新たな発見がある。

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