2021年7月10日    秀作アラン・バンクス(2)

 
 「主任警部アラン・バンクス」シーズン5(最終章)各45分6話をみた。最終章の初回放送は2017年1月。最終章第2話ラストシーンの衝撃はこたえる。
すぐれたドラマは話のやりとりや人間関係、大切に思っているものが段階的にわかるよう構成され、わかるころにはドラマに熱中している。事件は90分で解明される。人間関係は短時間で解決されない。反面、人間関係は待ってくれるが、事件は待ってくれない。
 
 4年半ぶりにみて、やりきれない思いは変わらず、幽囚となっていた怒り、悲しさがよみがえった。強固に見える人間関係でもこわれやすく、こわれたら修復不能である。
ミステリー、クライムサスペンスのたのしみは推理である。主人公と一緒になって悲嘆に暮れていても埒があかない。しかしそんなことは忘れてドラマのなかに入り込んでいる。悲嘆のすき間から光がさしてくることもあるのだ。
 
 第3、第4話は英国へ逃げて商売に成功をおさめたチャイニーズが犯罪にからみ、出番も多く、つまらなかった。中国系の俳優は、芝居も容貌もサスペンスやミステリー向きではない。ウソがばれている。
 
 2010年ごろ英国のミステリーやサスペンスドラマが劇的に変わった。それまではシャーロック・ホームズ型のスーパーヒーローが胸のすくような推理で難事件を解決した。
ホームズは英国中流階級の道楽、知的産物といえる。非現実的。性格は冷たく、自己愛が強く唯我独尊、人間関係に無頓着。庶民が主人公の刑事ドラマもあったが、多くは30〜45分に解決まで押し込み、構成が粗雑。
 
 そういう状況を打ち破るかのごとく登場したのが「主任警部アラン・バンクス」、「刑事モース」である。脚本と演出に工夫をこらし、ムダなく要所を押さえ、90分前後に仕上げる。モースもバンクスも言動が魅力的。レギュラー共演者ケン、ヘレンの見せ場も決めている。
ヘレンはくそまじめで融通の利かない女性。しかしそれゆえ、ウケ狙いの人間に較べるとセリフにおもしろみを感じる。そこがうまい。英国流ユーモアの発露、傑出した脚本。
 
 必死で部下をかばうバンクスの熱意はシーズン3「ある夜の過ち」(Bad Boy)ではっきり伝わってくる。ヘレンの窮地をなんとかしたいが簡単ではない。ヘレンの潔い言動に感動した。そうこうするうちに娘が拉致されバンクスは苦悩する。
ヘレンに対する調査を指示されたアニー。孤立するヘレン、バンクス。三者三様の描写が立体的であざやか。ヘレンがあることに気づき、再調査をするアニー。最後のほうでバンクスをかばう上司(警視正)もすばらしかった。
 
 最終章第2話のラスト、大きな救済相手で家族同然だった部下が死亡し、バンクスの喪失感は計り知れない。最終話でヘレンに向かってバンクスは叫ぶ。「こっちは結婚生活や家族、人生までも犠牲にしているのに。わたしにもきみ(部下ヘレン)にも人生がない。さびしい人間だよ」。
ヘレン「一緒にしないでください」。バンクス「昔は意味のある犠牲だと思っていた。やつはわれわれの仲間を殺し、逃げおおせた。それを許せば信じているすべては意味を失う」。
 
 悲憤が行動を起こし、犯人逮捕に結びつくから胸にせまる。不毛な結末は感動を生まない。
 
 画像のシーンでバンクスはつぶやく。「きみに会いにきて、話をしてあげられる場所がわたしにはない。だからここにした。気に入ってくれるか」。石を積み上げたのはバンクスである。英国で最も寂しく、最も記憶に残る北イングランドのムーア。思い出すとこみあげる。
 
 故人の夫から遺児の話相手になってもらいたいと頼まれた。寂しさが見いだすであろう使命感は一条の光だ。そうでなければバンクスの心はムーアをさまよいつづけるだろう。家族愛、人間愛をこれほどわかりやすく、格調高く描き、共感した刑事ドラマをほかに知らない。

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