2019年1月5日    西行の時代 序章(3)
 
 「西行の時代 出家」の章で詳しく述べる予ですが、史料を駆使して証明しようとするのが歴史家で、何事も証拠がなければ実証されないという姿勢は当然のこととして、彼らも人の子、自らの体験や想像、ときには感性が学術論文や作品に反映され、文章の一隅にあらわれることがあります。それなくして秀作は生まれるのでしょうか。
 
 西行が同時期の歌人と異なる点は、忘れようとして歌を詠むこと微塵もなく、忘れるために苦難を乗りこえようとしたこともなく、ひたすら思い出して乗りこえたということです。西行にとって歌は果てなき思い出です。追懐の数だけ歌は詠まれ、歌の数だけ追懐は募り、募れば歌になる。眼前の光景を歌にするだけでなく、歌に詠まれた風景は西行の記憶の落とし子なのです。
 
 新しいものより古いものが、うずたかく積まれたイチョウの葉の下にひっそり隠されているものが、見つけてくださいと訴えるのです。それは森羅万象、自然も人間も一体となって語りかけます。そういう音と声に耳をかたむけるのが西行のような歌人。
自然はゆっくり岩を削り、木々を成長させ、花を咲かせて散らし。人間は寿命がかぎられているからなのか、いつの世も急ぎ、急がない人間は長生きすると信じこみ、権力を持っているという幻想に取り憑かれた人間は、時がきたと思う。
 
 生あるうちに何ができるのかと考えない者はいないと思いますが、平安末期にあっては西行のように、自らできることはないと自己否定する人間はいたかもしれません。その上で自然に近づき、自然の美しさを歌い続ければ融和できるもしれない。「山家集」は果てしなく続く西行の心の軌跡であり記録なのです。
自己否定の後にやって来たのは、理想と崇高という木片に歌を彫ることによって、歌を文字にすることによってしか得られない悦楽。西行は家族や苦行ではなく第三の道を選びました。森あるかぎり、森の木々と生きものが消えないかぎり永遠に存在するであろう精霊と同化しようとした。
 
 歌人としての行動は神出鬼没。素早さは同じでも、西行の出没は鬼神のごとしではなく、あらわれるすがた雲の絶え間の月のごとく、立ち去るすがた白虎のごとしでした。孤高を保つというような余裕が西行にあったとは考えにくい。
 
 孤独な男は神出鬼没です。西行の心のありようを漠然と感じていたのは女性、その一人が待賢門院堀河であったと思われます。歌はときおり軽口をたたき合っていることもありましたが、親しい者同士はとかくそういうものでしょう。表面は颯爽として明るく、うちに孤独をかかえている男女はひかれあい、生涯忘れられない人となりましょう。
 
 家を出る動機も理由も語らなかったのは、言えば誰かが傷つくからでしょう。理由を明かさず謎にしておくほうがよい場合もあります。西行は痛みを伴わない改革を自分に課した最初の歌人です。
皓々たる月明かりに照らされた木々の葉は風にゆれて思いを語ろうとします。風も葉も西行なのです。もののあわれも風雅も西行からみれば歌の一部にすぎず、しかし、体験を経てもののあわれの本質はみえてきます。状況次第で人は本心とちがうことを言う。西行は本心を詠みました。西行の歌は確固として後世に残るのです。
                         

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