2021年9月22日    ザ・クラウン(3)
 
 名場面の多いドラマは各シーンを精細に記憶するのが難しい。「ザ・クラウン」・シーズン1の10話を5日くらいで集中視聴すればわかると思う。視聴終了から1週間も経っていないのに、断片しか思い出せず、名場面が何話目に登場したのか記憶は曖昧。王女時代のエリザベスが夫と外遊に赴き、ケニアに滞在したシーンは鮮明におぼえている。
 
 夜、現地民が夫妻のコテージに来て「外へ出てみませんか」と促す。外は野生の王国。エリザベスの驚嘆と感動。
日中、夫妻が口論し、諍いながらコテージを飛び出す。外では英国人らしき連中が遠目に撮影していた。エリザベスはおもむろに彼らに近づき言葉をかける。カメラマンはフィルムを取り出しエリザベスに渡す。たったそれだけのシーン。
 
 近寄ってきた彼女が声をかけるとは思いもしなかった。高貴な人を間近で見れば心に残る。まして言葉をかけられるなんて。成り上がりの夫フィリップは別として、王族は気取らない。気品をただよわせ、誠実と率直を伝えるだけである。カメラマンは魔法の粉をふりかけられたのだ。
 
 父ジョージ6世の崩御。即位した女王にとって夫や元国王(エドワード8世)、王太后(母)、太王太后(祖母)でさえ臣下である。太王太后(ジョージ5世の王妃)が臣下として新女王にかしづく一コマは見事だった。
尊厳を保ち、王と臣下であることを示すハラができていたからだ。太王太后の夫は第一次大戦の国王、次男は第二次大戦の国王。歴史の奔流に巻き込まれた者にしかわからない何か。
 
 女王の戴冠式をテレビでみていたウィンザー公(エドワード8世)が画面に向かってぶつぶつ話すシーンと、夕方、自宅の庭でキルトを着てバグパイプを演奏する寂しげな姿も印象深い。国を捨てるかのように離婚歴のある女を選んだ長男(ウィンザー公)をけなす母(太王太后)、それでも老いた母を慕う元国王。
 
 人は過去の幽囚である。固定観念や先入観が幽囚を導くのではない、記憶の集積が幽囚を生むのだ。したがって固定観念にとらわれた健忘症者は幽囚と無縁である。
王や王族は過去にとらわれないふりをしなければならない。断ち切るのでもなく乗りこえるのでもない、とらわれないふりをして矜持を保ち、未来に向かって決然とふるまう。そういうことを太王太后は無言で孫(女王)に語っているのでは。
 
 太王太后の次男ジョージ6世は国民から敬愛されていた。突然の国王即位と吃音にもかかわらず忍耐強さと質素な暮らしを続け、第二次大戦中、ドイツ軍による空襲のさなかもロンドンに残り、国民に寄り添う王であったからだ。我慢を求めるのではなく自ら我慢する王。
 
 ジョージ6世は家族と共に過ごし、「おやすみ」を言い、眠っているあいだに亡くなる。おそらくは誰もが望む安らかな死。
チャーチル首相の弔辞。ジョン・リスゴーの名朗読は静かな感動を呼ぶ。
 
 
 国王崩御の報を受け、国中が深く悲しみ、打ちひしがれております。悲しい鐘の音は海をもこえました。20世紀にあふれかえるさまざまな喧噪は静寂と化し、世界中の無数の人々がその場に立ち止まり、悲しみをかみしめています。
国王はすべての臣下に深く愛されていました。かつてない危機がこの国を襲ったのは亡き陛下の在任中です。長い歴史のなかであれほどの侵略と破滅の危機に陥ったことがあったでしょうか。
 
 兄君から王位を継承後、国王としての重責を一身に担われました。さまざまな困難に見舞われたでしょう。しかしその最中も不屈の精神を失いませんでした。最期は死さえも友として迎えました。愛と笑いに包まれた一日を過ごし、愛する者たちとおやすみの挨拶をかわし眠りにつかれた。
 
 他の誰もと同じように神を敬うことだけをお心に留めて天に召されました。わたしはいま、美しき過去と訣別して未来に向かわねばなりません。かつて高名な女王が君臨した時代がありました。その女王の統治の下で、わが国は輝かしい歴史を刻んだのです。
 
 エリザベス女王2世は、同じ名のエリザベス1世同様、確たる王位継承者として幼少期を過ごされたわけではありません。新たなる女王の時代は、人類が破滅的状況でかろうじて均衡を保つなか、大海原に漕ぎ出しました。
わたしの青年期は、居並ぶ敵のいない揺るがぬ栄華をきわめた誉れ高きヴィクトリア朝でした。再びこの祈りと歌をお捧げすることに興奮を禁じえません。神よ、女王を守りたまえ。
 

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