2021年10月17日    半月と坊ちゃん

                          坊ちゃんがメールに添付してきた画像。木々のあいだに半月が。
 
 
 9月21日の中秋の名月は雲行きが怪しく、早雲の流れのすきまに見える月しか撮影できなかった。四国の坊ちゃんへ添付メールを送ったら10ヶ月ぶりに電話があった。2019年に離婚した息子さんが再婚したとかで、相手は石鎚山のふもとに住むバツイチだという。「バツイチ同士がクソ暑い夏に式をあげるばい」。出たくはなかったが、しかたなく出席したらしい。
 
 「車で20分じゃ。遠いけん」。「石鎚山のふもとまでそれくらいで行けるの?」と聞いたが返事はなく、「夏じゃ、20分じゃ」をくり返す。「43歳と40歳じゃけん。年だけ釣り合ってもどうにもならん」。
 
 それで思い出した。小生術後の傷がようやく癒えた2019年6月、男4人の1泊2日プチ合宿初日、烏丸通りに面したホテルでランチをとったさい彼が驚くべきことを言っていた。息子さんの嫁(前の)とその母親が押しかけ離婚話を持ち出し、嫁の母親がここには記せないようなことを口走った。それを聞いた男たちは押し黙って一言も発さなかった。
 
 嫁の母親にそういうことを言われ、彼女らが帰ったあと坊ちゃんの奥さんはよほど腹に据えかねたのだろう、「さっさと別れろ!」と坊ちゃんに怒鳴ったらしい。さすがの坊ちゃんも言い返せなかったのではないかと思われる。
 
 坊ちゃんが「井上さん、ワクチン打ちましたか?」と尋ねたので、「7月に打った」と言うと、「食料品調達以外はどこにも出ず、近所の人を見かけるのも2日にいっぺんくらいじゃ。人に会わんから打つ必要もない。このへんは接種率90%じゃけど家内も打っとらん」。率直な人は何を考えているかわかりやすい。話が通じるのも早い。
 
 2年前のプチ合宿二日目、京都市山科区の勧修寺(かじゅうじ)で歩きながら言う。「20年前、庭に苗で植えたケヤキが20メートルになった。帰ったらハスを買い、大きくなったらでかい水鉢に植えようばい」。
 
 その日は午前中から暑く、三室戸寺の石段でバテ気味だった坊ちゃん。小生は前日からバテていました。「わしは奈良に行きたかったんじゃ」と言っていた彼とは腰に持病をかかえる間柄。おまけに小生は骨粗鬆症。
当初の計画は初日にJR奈良駅近くのホテルで集合し甘樫丘まで車。変更せず甘樫丘に登っていればどうなったことやら。坊ちゃんもただではすみますまい。飛鳥寺から京都の宿まで2時間40分〜50分のドライブ、頻尿の小生は2回トイレ休憩が必要。トイレ探しで血まなこになっていたでしょう。
 
 勧修寺拝観後、JR京都駅に通じる料理店で昼限定の天ぷら御膳を食べた。天ぷら盛り合わせのほかに煮物の小鉢、味噌汁、抹茶アイスクリームもついて1800円(税サ込)。坊ちゃんは天ぷらを食べつつ隣の仲間を見て、「うまい」と同調を求めるような顔でした。
 
 10月14日の半月の夜、自宅そばの公園からスマホ撮影した半月画像を添付したメールを送ってきた。木々のあいだに見える半月は点みたいに小さく、月かゴミかわからない。が、空気の澄み切ったようすが伝わってきた。
 
 「点みたいな半月ありがとう」とお礼を述べ、小生がメール添付した月について、「カマボコというより恨みの月みたい」と添え書きしたら電話があった。何を話したかよくおぼえていない。直近のことはすぐ思い出せないのだ。
血圧の話題になり、「最近、血圧が高い。140くらいある」と言うので、「こっちは降圧剤を飲んでも140はある。数年前から腎臓の数値もわるい」と言うと何を思ったのか、「腎臓は治るけん、だいじょうぶ」。
 
 「沈黙の臓器」腎臓は機能低下しても自覚症状はなく、わるくなると治らないとされ、薬もなく、タンパク質&塩分を極力抑え、血圧も下げ、それ以上悪化せぬよう手をつくすほかない。坊ちゃんは最近の採血検査でも正常。内臓はいたって健康。
 
 小生の伴侶も会話のなかに意味不明が混じる。パソコンの無料教室があるので友人と一緒に行くと言う。パソコンの話かと思えばそうではなくスマホ。話が合わないはずである。
 
 何だったか、そういう話題かと思って聞き、返答したら怪訝な顔をしていたので確かめると、伴侶の最初の主語がまちがっていた。近年、主語を省略する傾向が著しく、会話の途中で「主語は何?」とたずねる。
ちゃんと言っているつもりでまちがえることはあり、主語がないと気づかないまま会話が別の方向に行くこともある。そういう会話の多くは忘れるので家庭問題は発生しにくいけれど。
 
 直近のことを忘れ、疾病で一日に4時間までの外出行動しかできない小生は、半月で運行をやめる月である。新月と半月を往ったり来たり。満ち欠けの「満ち」がない。本名に「満」の一字がついている坊ちゃんは時々ヘンなことを言うが、半月から満月になってくる。
この数年、病没する知人友人が年々増えており、自分も順番待ちだと思う傍ら、数少ない仲間が経年劣化しつつも健在で、それが自分の支えになっているのはありがたいことだと思いながら暮らしている。

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