2021年11月2日    一本の道 コーンウォール
 
 旅は個人旅行でもツアーでも自分独自の何かを創造できる、あるいは感じとれる旅がよい。旅番組やガイドブックで紹介されるものと同じ感想をもつのは自分らしくない。他人と異なる結論に至るのは当然で、陳腐で均一的な語りでお茶を濁し、しめくくってしまう番組はつまらない。
 
 1993〜2003年には「世界わが心の旅」があった。旅人が数十年ぶりに思い出の地へ行き、懐かしい人に再会し、自らの心の風景を探る旅である。本人が行き、本人が語るから感動を呼ぶ。
行ってもいない者が、行ったかのように原稿を読んでも感動しない。だからといって語彙不足のタレントが仕事で旅に出て、「すごい」をくり返すだけでは話にならない。
 
 旅人が歩いて語る番組は2016〜18年の「一本の道」がすぐれていた。6日か7日かけて主にフットパスを女性局アナが歩く。一日の歩行距離は約8キロ〜16キロ。どこへ行くかも重要だが、だれが行くかはもっと大事。放送時間は60分、編集でカットされたシーンをもうすこし入れて90分でもよかったと思う。
 
 特によかったのは、初回の「コーンウォール」(2016年6月17日放送 旅人は松村正代)、何回目だったかの「ピーク・ディストリクト」(鎌倉千秋)、「ウェールズ北部」(中川緑)。当時、中川緑は50歳、松村正代34歳、鎌倉千秋37歳。ミディピレネーの「ロカマドゥール」(一柳亜矢子)もよかったが、英国の上記3つには叶わない。
 
 英国の「一本の道」は以前みて感動し、最近、ダビングしたBDをみてまた感動した。部分的に内容をおぼえていても感動がよみがえる。彼女たちは歩き終わってB&Bの自室で日記を書く。日記には経験の質が反映され、素の自分が出る。
番組のスタッフが手配しても、団体旅行御用達のホテルではなくB&Bに泊まりながら1週間ほど歩くと自分の旅になる。苦難の道を歩く巡礼者のような旅人に魅了されるのはなぜか。
 
 「一本の道」コーンウォール半島西部のセント・アイブスをスタートし、海岸線の崖に沿ってランズ・エンド、マーゾル(Mousehole 番組ではマウゼル)、セント・マイケルズ・マウントに至る歩行距離70キロ。
 
 ボタラックからランズ・エンドまでは青銅器時代と変わらぬ原野、石垣。不可思議なストーン・サークル。海に落ちていきそうな険しい道もあって変化に富む。松村はつぶやく、「私はいつの時代にいるのだろう」。そこはイングランドではない、コーンウォールなのだ。
 
 松村正代と英国人男性ガイドとの二人連れ。アグレッシブな音楽がなんともいえず、旅人の意欲をかきたてる。ヒツジ、ウシ、ウマ、ハイカーとの出会い。ピクニック・ランチはバゲットにチーズ、ハムをはさんだ簡素なものだ。そこがいい。ステキな風景を眺めながらおいしい空気を胸いっぱい吸う。素朴な食べものは何よりものご馳走。
 
 ボタラックの錫採掘を3代にわたって続けた元鉱夫の話は、波が押しよせる煉瓦造りエンジン・ハウス跡(廃坑)の風景とともに胸を打つ。マーゾル近くの初老の漁師(漁で生活するのはわずか3人)は、「石のように強くないと生き残れなかった。鉱山と漁業、農業のほかには何もなかった」と語る。
 
 松村正代は中学時代、ブラスバンドのチューバをやっていたらしい。旅の途上、「東京のビル群を見て息苦しく感じた」という。漁師と握手するシーンも印象に残る。漁師は、「ほんとうに小さな手だ、孫娘のほうが大きい」と言い、松村は「手の厚みと温かみがちがう」と感心する。
 
 彼女はこうも言っていた。「その人たちの気持ちが足の裏から伝わってくるような気がする」。上空からのドローン撮影は歩く人と風景を巧みにとらえ、音楽と合っている。旅は数十年の時を経て人生を見、人生は旅を見る。旅の道は巡礼の道である。生きていてよかったと思える人間に出会うのは難しい。しかし生きていてよかったと思える旅に出会うことはあるのだ。
 
         ↓コーンウォール・ボタラック近辺にある錫採掘の煉瓦造りエンジン・ハウス跡。松村正代が歩いた崖っぷちの細道。


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