2021年11月8日    ぼやきの湯

 福井県大野市に通称「ぼやきの湯」という銭湯があった。2018年当時、テレビ番組「新日本風土記」で紹介され、2021年10月29日に「お風呂の旅」で再び放送された。「ぼやきの湯」だけで正式名は思い出せず、古い町並に積る雪、ほの暗い街灯、柄模様の暖簾の「ゆ」という赤文字が記憶に残っている。
 
 初老の銭湯経営者は朝から湯の準備をする。まきに火をつけ、さらにかなりの「おがくず」を足してゆく。湯に保温効果がでるのは「おがくず」が長い間じわじわ燃えているからだという。そういう作業を根気よく毎日くり返す。儲けは燃料費に消える。道楽で銭湯をやっているのだ。地元だけでなく遠くからやって来る客もいる。
 
 ぼやきと聞くと思い出すのは四国の坊ちゃん。2005年10月、30数年ぶりに京都で再会した同好会(古美術研究会庭園班)のメンバー5名は祇園の大衆料理店で会食する。
学生時代、坊ちゃんのぼやきを聞いた記憶はない。長い歳月を経てぼやくようになった。久しぶりに会って、ぼやきを聞かされるとは想像外だったが、仲間は再会を祝っておとなしく聞いていた。
 
 関西に人生幸朗(1907−1982)という漫才師がいた。ぼやき漫才を得意とした。「浜の真砂は尽きるとも、世にぼやきの種は尽きまじ」でスタート、世相や歌謡曲の歌詞を俎上に上げる。散々ぼやいたあげく「責任者出てこい」と叫ぶ。愉しい漫才だった。
 
 2019年6月京都で会い、二次会をすっ飛ばして宿の部屋で3時間くらい話した。小生と横浜の仲間はもっぱら聞き役。最も饒舌だったのは金沢の新聞社勤務の男。半世紀前に交流のあった女性とお互い結婚後再会し、いまも交流している話を長々聞かされた。
坊ちゃんはぼやかず、女にもてた自慢話。彼のぼやきを人生幸朗の再来のごとく楽しみにしていたので拍子抜けした。
 
 2019年の4月ごろ、坊ちゃんは電話で「有馬温泉へ行こうばい」と何度か催促した。6月、仲間と会う予定日前日に泊まろうと言う。小生の自宅から有馬温泉は近距離。
しかし5月におこなう手術の経過が不明のまま温泉なんか行ってられるか。それに小生は風呂好きではあっても温泉をあまり好まない。大浴場を温水プールがわりにしていた子どものころとは違う。有馬温泉はぼやき湯になるだろうし。
 
 自宅の風呂に日本酒二合入り徳利を持ち込んで飲む坊ちゃんは、風呂上がりにビールまたは日本酒を飲むと言っていた。そして年に2度くらい電話してくる。「飲んじょるけん」と言われても飲んでる気配は伝わってこず、強い上にも強いという感じだけ伝わる。
 
 疾病が原因で2年半、一滴の酒も飲んでいない小生が、自分のことで愚痴もこぼさず、泣き言も言わなくなったら、死神が御所車のような特別車を用意して迎えに来るのだろう。よきところでござしゃいます、痛みも苦しみもあらしゃいません。
 
 大野市の銭湯「ぼやきの湯」、いつごろから、なぜそう呼ばれたのか、番組で明らかにされたのかどうか覚えていません。

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