2021年11月16日    一本の道 北ウェールズ
 
 中川緑が初めてウェールズを訪れたのは一本の道「ウェールズ北部」(2017年5月30日放送)に出る17年前、「あこがれの英国旅行をしたとき、ほんの気まぐれからウェールズを加えた」。車で回ったそうだ。
 
 ウェールズ再訪は最北部のアングルシー島からスタートする。季節はスイセンとハリエニシダの花が咲く春先。ウォーキングの行程はアングルシー島のドゥイラン(Dwyran)からメナイ橋(Menai Bridge)をわたってポースペンリン(Port Penrhyn)、そしてドゥイガバルヒ(Dwygyfylchi)〜コンウィ〜終点グレートオーム(Great Orme)までの6日間60キロ。
 
 ポースペンリンはスレートの積み出し港であり、ムール貝でも有名な漁港。コンウィには13世紀に建てられたコンウィ城があり、ハーレフ城とともに古色蒼然とした雰囲気が漂い、見晴らしもすばらしい。
中川緑は歩きながらヒツジに出会う。早春は出産のピーク、産まれたばかりの子ヒツジが母ヒツジに付き添っている。カタカタカタという木をつつく音が聞こえる。ウッドペッカーだ。
 
 一日目のB&B。「疲れた」という感じでベッドに倒れ込み、笑わせる中川緑。日記に「17年前とは異なる印象。すべてが生き生きと輝いてみえるのだ。17年前は毎日が雨のウェールズだった。今回は毎日が晴天」と記す。二日目の日記、「きょうは海のめぐみウェールズと出会った。自然に囲まれ暮らしていることに彼らは誇りを持っている」。
 
 三日目は山からスレートを運んでいた鉄道の線路(廃線となって線路もない)を歩く。最初は馬車鉄道だった。家々の屋根はスレート葺き。1999年6月、小生が北ウェールズをレンタカーで回ったとき、まず驚かされたのはスレートだらけの山の斜面だった。使われることなくうち捨てられたスレートのぼた山。
 
 中川緑は海岸の低い崖に沿った細道を歩く。ランチは肉をはさんだバゲット一本。実においしそうに食べる。
兄妹牧場主の兄にヒツジの数をたずねても答えてくれない。「数を教えるのは財産を教えるようなものだ」と言われ納得。死んだ子ヒツジの皮を別の子ヒツジにかぶせて自分の子だと思わせる。母はにおいでかぎ分ける。「母ヒツジには自分の子が必要だ。健康な母体を保つためには子ヒツジの世話をすることが必要なんだ」と牧場主は語る。
 
 「なんとなく知っているような気がしたけど、ぜんぜん知らなかったことに気づいた。ウェールズの人々や自然に初めて出会ったような気がした。もっと謙虚にならなくては、自分が止まってしまう」。
 
 ウェールズへ行くと彼らは自分たちのことをウェリッシュ(ウェールズ人)と言い、スコットランドだとスコティッシュ(スコットランド人)と言う。ハイランドへ行けばハイランダー。イングランドの住民だけがイングリッシュ(イギリス人)と言う。
 
 旅の目的は、追憶と発見という果実の収穫後、思索の種をまくことである。旅は思索をはぐくみ、思索は旅をもとめる。
一本の道はきょうも続いている。すぐれた番組は必ず終わり、それに続くものはいつ制作されるのかわからない。

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