2021年12月26日    サイレント・ナイト
 
 主役5人は都内の学生で古美研庭園班に所属し、後輩女性は密かに五大老と呼んでいた。30年以上の歳月をへて彼らは文字通り五大老となっていた。若年寄の小生が老爺になり、元々長老だった人が古老になっても、大老は大老の存在感を保ちつづけた。約一人、ぼやき大老もいるけれど。
 
 彼らは自然体だった。年齢の割に落ち着いていた。内心はそれなりの緊張や興奮、羞恥があったのかもしれない、同期には見せても先輩には見せない顔があり、異性に対しては本心をごまかしていたのかもしれない。
50代に再会して大学教授のように気取っている人はつまらない。状況はどうあれ時間が飛ぶから愉しいのだ。苦労していない人はいない。みな人生の理解者である。
 
 学生時代、磊落な彼らは一目置かれていた。小生は昭和46年ごろ彫刻班の女性と交流があり、彼らの話題になったとき、KY君、U君、MY君(彼らは一年後輩)を同期の仲間のように語り、その女性から親しみと敬意がこぼれ落ちた。 
 
 2学年下の後輩にもウケがよく、新入生のころから学生会館に足繁く出入りしていたKY、MY両君のほかに、庭園班チーフとなったU君も加わる。
MY君は情報通で、情報を握っていてもほとんど黙っているKY君とちがって時々流してくれた。しかし異性との交流については黙秘し、36年もたって堰を切ったように話しはじめた。
 
 別ルートで後輩女性から関連話を聞かされたが、ポコがテンコがと愛称で話すし、核心にふれず、景色がぼやけて五里霧中。そういう話なら話さないほうがマシ。MY君は当事者にしかわからない体験を生き生きと語った。
 
 五という数字、欠けてはならない。それはそのまま仲間の思い出をくっきりかたちどる大切な数字である。
U君逝去の悲報を旧友から聞いた夜、昔を思い出して缶ビール大3缶、ポテトチップス1袋半、ふだんの3倍飲み食いした人。引っ越しの疲れがあるでしょうに飲まずにいられなかったのか、翌日の夜もしたたか飲んでいるふうで、20代前半の出来事をきのうのことのように語る。
 
 若返ったMY君の話を聞くと時間を忘れる。しかし片付けを手伝いに来た中年女性ふたりと慰労(?)の酒盛りをしており、そのうちのひとりが電話に向かってガラガラ声で何か言う。そういう人たちがそばにいて心は安まるのだろうか。
 
 外野がやかましいので電話を切った。その途端ぼやき大老から電話が入った。あちこち電話して情報収集し、わかりましたという。心配なのはU君の奥方、思いはMY君と同じ。
ぼやき大老はグループ交際の部外者ゆえ、先輩とみられていない当事者に較べると先輩とみなされており、相手も話しやすいと言う。よくわからないけれど一理ある。
 
 仕事上のつきあいならこういう話にならないだろう。突然のことで実感もわかず、思いはかけめぐる。会社勤め経験の浅い小生は、出世した人の気持ちも、しなかった人の気持ちもわからない。わかっているのは、U君が心に刻印を残すこと。
 
 ぼやき大老がバカなことを言い、KY君が澄ました顔で冗談を言うとき、「どーにもならん」と鼻の両側にシワを寄せて笑っていたU君。2011年5月、東京日本橋でおこなわれた第7回庭園班OB会で突然、「原発はだめです」と言った。
地位をのぼっても仲間に対して変わるところなく、にこやかで率直で気取らず、軽口を叩き、酔うと愉しくなる。社内では見せることのないであろう笑顔も50年前と変わらなかった。
 
 12月24日、夜ふけて送られてきたKY君からのメール。その時間はPCを開いておらず翌日拝読した。文章の行間に数々の思い出にふちどられたU君との思い出があふれていた。
 
 「夕方、気を取り直して遊歩道を散歩した」ときのようすが簡潔に記されていた。「いつもは静まりかえっている企業ビルの窓が全館明るく、煌々と光り、きょうはクリスマスイヴで、そのイルミネーションかと気づいた」。
 
 「人通りの少ない遊歩道。金星はもう見えなくなって、木星だけが輝いている。サイレント ナイト」。
この秋、KY君がメールに書いた木星、金星はわれわれの合い言葉のような文言。結びのサイレント・ナイトは、出会いから別れの半世紀を語る連続ドラマ最終章の静寂を想わせる。
 
 U君の逝去によって星やクリスマスはそれまでとちがう輝きと意味を持ったのです。もう見えなくなった金星。そして輝く木星。詩的なサイレント・ナイト。心洗われました。

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