2022年2月20日    ロコ・ソラーレ
 
 北海道北見市常呂町に拠点を置くカーリング女子「ロコ・ソラーレ」については書きたいことが山ほどあり、「書き句け庫」2016年3月29日「カーリング女子」にも記した。数えきれないほど常呂町へ行った者として常呂町が北見市の一部となったのは多少の違和感がある。あったというべきか。
2018年平昌五輪銅メダルの凱旋パレードを北見市中でおこなったとき、どこからこんな大勢の人が集まったのか、北見にこんなに人がいたのかと思えた。以来、ロコ・ソラーレは北見市のシンボルとなったのである。
 
 北見は海のない内陸であり人口10万人以上、暑さ寒さも厳しいけれど、常呂はオホーツク海やサロマ湖に面し、人口は4千数百人で民家もまばら、夏涼しく、冬も厳寒の日は少ない。
 
 ロコ・ソラーレの創設者は癒やし系の本橋麻里。吉田夕梨花(吉田妹)、鈴木夕湖は創設当初からのメンバーだ。ソチ五輪後、北海道銀行を退団し、一時はカーリングをやめようと思ってコンビニで働いていた吉田知那美(吉田姉)に会い、説得したのは本橋麻里。
 
 そのころ中部電力に所属していた藤澤は2014年の世界選手権日本代表選考試合で、自分のミスが原因となり北海道銀行に敗れ落ち込んでいたそうだ。
そのときである、「入らない? 私たちはもう次に(来年の世界選手権出場をめざして)進んでいるよ」と本橋に声をかけられ、2015年春ロコ・ソラーレへ移籍した。2016年の世界選手権決勝でスイスに敗れて2位だったが、日本カーリング初のメダルを獲得。持ち前の負けん気の強さが発揮された。
 
 カーリング女子メダル獲得の歴史を切り拓くきっかけをつくったのは本橋なのだ。ロコ・ソラーレを強くするため、まとめるために吉田姉と藤澤の力は不可欠。本橋の人物選びの確かさは、その後の彼女たちの活躍が物語っている。吉田姉妹、鈴木夕湖、藤澤五月は日本版四銃士である。
本橋はメディアが名づけたマリリンという愛称で知られていたけれど、テレビ出演のオファーを断ってロコ・ソラーレのスポンサー集めに奔走。ほとんどが飛びこみだったという。飛び込み営業なんて誰もができるものではない。
 
 藤澤はこの4年間で成長した。表情にも発言にもやさしさが加わり、柔和な感じになっていった。一番手リード吉田妹、二番手セカンド鈴木の存在は偉大といってもいい。ミスショットが少なく、敵のストーンが邪魔しても埒外に巧みに寄せたり、味方のストーンを守るためにいい位置にストーンを置きガードする。
 
 鈴木は、三番手サードの吉田姉や四番手スキップの藤澤にもっとチャンスで回せるようにしたい」と言っている。鈴木のお母さんは、「とにかく練習、練習で、私が朝起きたときはランニングに出発している」と述べている。
鈴木と吉田妹のスイープは観戦者すべてが賞讃する力強さ、素早さ、精確さに満ち、吉田姉や藤澤の「ナイス・スイープ」という声がアイスの上に響き、吉田姉、藤澤の投げたストーンがいい位置におさまる手助けをする。
 
 駕籠に相乗りするロシアと中国の駕籠かきをやったIOCのバッハは公正さをかつぐことはない。それでも選手はがんばり、私たちはみる。
 
 吉田妹、鈴木は好調をキープ。しかし吉田姉は相変わらず不安定。1ゲーム20回のショットにムラが多く、ここで決めねばというときミスを連発した。藤澤は何度もリカバーしたが、吉田のミスにおつき合いすることもあった。しかしデンマーク戦・藤澤最後の一投による逆転劇は見事だった。
 
 予選リーグをなんとか通過できたのは、5勝4敗で並んだ3チームにうちドローショットチャレンジ(先攻後攻を決めるストーンのハウス中心への近さの平均値)が英国(3位)、日本(4位)、カナダの順となったからだ。
吉田姉、藤澤は勝利するたびテレビカメラに向かって、「まりちゃ〜ん」と呼びかけた。平昌五輪でリザーブとしてコーチの横にいた本橋麻里は日本にいる。だれよりも勝利を伝えたいのは「まりちゃん」である。
 
 今回のリザーブは石崎琴美(43)、まりちゃんより8歳年上。競技生活を退きカーリング女子の世界選手権や五輪ですばらしい解説をしていた。あれほど的確でわかりやすい解説者は当分あらわれないだろう。
その石崎を粘り強く誘いつづけたのはまりちゃんである。2020年9月、石崎はロコ・ソラーレに加入した。みなから信頼され、試合終了後の深夜、ストーンをみがくなどの点検を入念におこなう。ほかの選手が気づかないことにも気づく。経験が役立つ日は来るのだ。常呂がカーリングの聖地と呼ばれる日も来るかもしれない。
 
 まりちゃんがロコ・ソラーレで伝えたのはことばではない、笑顔だ。そして行動と真摯。逆境にあっても笑顔を忘れなければ、真摯を失わなければ抜け出せるだろう。吉田姉も藤澤も、まりちゃんの笑顔と真摯な行動に救われたのだ。接した者にしかわからないまりちゃんの魅力。
加齢とともに笑顔は徐々に減ってゆく。冗談や軽口にほとんど反応しなくなってくる。日々の暮らしにも笑いがあれば高齢者も癒やされる。
 
 高木美帆とヨハン・コーチが抱き合う姿に感じたのは、信頼関係が恋人以上、夫婦以下ということだった。ロコ・ソラーレは、まりちゃん、石崎への信頼が選手同士の信頼につながり、チーム力が生まれるのだろう。
 
 準決勝で天敵スイスに勝てたのは、スイスのサードとスキップがミスを重ね、藤澤が調子を取りもどしたから。相手チームが調子を崩さなければ日本は決勝に進めなかった。この勝利にまりちゃんはテレビの向こうで涙していたかもしれない。
 
 平昌五輪、宿敵英国との3位決定戦、同点で迎えた10エンド、イブ・ミュアヘッドの最終ストーンにかすかに当たって押し上げられた日本のストーンがナンバー1となり、劇的な勝利を日本にもたらした。
ミュアヘッドは4年間苦しんだという。雪辱する絶好のチャンスは平昌五輪の再現となる。日英両国が準決勝で強敵に勝ったからこそもたらされたドラマは、これまでのどのゲームよりドラマティック。そこまではよかった。
 
 英国のほうが技倆は上。ミュアヘッドも好調をキープ。日本に勝機がめぐってくるとすれば、前半で少しでもリードし、後半接戦に持ち込むしかない。しかし英国には気概、気迫がみなぎっていた。決勝戦に残って「ラッキー」と思う日本と、まなじりを決してのぞむ英国の違い。
7エンドで日英戦は終わっていた。日本は有利な後攻で複数点を取らせてもらえず、時にスチールされる。予選リーグで日本が楽勝したパターンである。10−3の大差で日本が負けた。完敗となって4人全員が打ちひしがれていた。
 
 思うことはただひとつ、「まりちゃ〜ん」と呼びかけてもらいたかった。それだけである。

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