2022年3月4日    坊ちゃんのヤマバト
 
 2022年3月4日、「プーチンの狂行でテンションも血圧も上がりっぱなし。体調はよくないし、神経痛でへばっているけど、テレビをみずにいられない」というメールを四国の坊ちゃんに送った。3月4日夜のテレビ報道番組はみていない。憤慨して疲れた。
 
 夕方返信が来て画像が一枚添付されていました。本文は、「庭でウィスキーを飲んでいたらヤマバトが来た。毎年2羽やって来て庭に巣作りする。メジロ(「散策&拝観2」坊ちゃんのメジロ)は赤い実を食べつくし、みかんで餌づけしていたが、ヒヨドリに追われて逃げた」。
 
 ヤマバトの鳴き声はフクロウみたいで、ヒヨドリのピピーという元気な声と較べるとユーモラスでもあり、不気味でもあります。体長もヒヨドリよりちょっとばかり大きめ。小生の引っ越し前の住居バルコニーにもヒヨドリがたまに遊びにきました。
 
 ヒヨドリはスズメのように可愛くなく、やや大型の鳥ですが、たまにしか飛んでこないので歓迎したい気持ちもないではなかったけれど、行きがけの駄賃に糞を落としていく厄介者。
 
 ヤマバトは青い鉢(メダカがいる)の上にとまっている。「ヒヨドリとは仲がよくなく、バトルをやっている」ともメールに記されていました。庭は一ヶ月で緑が多くなり春が近い。
坊ちゃんと野鳥で思い出すのは、2007年5月名古屋OB会の道すがら、KY君と坊ちゃんの会話を記したAさん(女性)の庭園班掲示板投稿文。文章は印刷も記録もしておらず記憶の断片。
 
 坊ちゃん「庭に野鳥が遊びにくる」。KY君「‥‥」。坊ちゃん「ヤマバトもくる」。KY君「食えるのか」。坊ちゃん「カラスもくる」 KY君「食えるのか」。あちこちでくりかえし書き記したように坊ちゃんは個性的でおもしろい。歓談の一部は記憶となっています。と書いたら後が続かなくなった。
 
 一昨年暮れから感じるのは、病気で思うように活動できなくなり、症状と薬の副作用に悩まされると、母や妹があのとき辛かったのだと身に染みてわかります。妹は家族旅行のさなか倒れた(香港など)こともあり、北海道滞在中も青い顔をして時々ロビーのソファに寝そべっていたこともありました。
母は道東で倒れ病院に運ばれ、絶対安静だったのですが2ヶ月半後の12月末、どうしても帰りたいと言って帰宅し、自宅療養していました。それから数ヶ月後に入院、闘病生活もむなしく不帰の人に。
 
 仲間U君は12月初旬に緊急入院し、いったん快方に向かったように見えましたが、入院の約2週間後に旅立ちました。あまりにも突然で考えることもできず、思い出にふけりました。入院経験の多い小生は、疾病の種類は違っても、皆あのときしんどかったんだと実感できます。
 
 2011年5月東京でおこなわれたOB会でU君に会ったらば、「原発はダメです」と強調していました。若いころU君はジャーナリストでした。メディア関係者は大きな出来事が起きたとき、テレビや新聞紙上でいさましい発言をしても、素顔は冷静を装って様子見したり、沈黙する人たちが多い。
肝心なときにあいまいな態度を取り、言葉を濁すのが彼らの特徴。U君は違いました。言うべきことを堂々と言う。プーチンの非道に対するU君の意見を聞きたかった。
 
 ここ1年半、へこたれまいとしても身体がいうことを聞いてくれない日々が続いています。起床時の思いは、無理にでも起きなければずるずると寝込み、もっということを聞いてくれなくなるということです。休んでも回復しない。
 
 野鳥は飛べなくなるとき終息を迎えるといいます。いきなり旅立ちのときがやってくるなら、ある意味めでたしと思うほかありません。

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