2022年7月20日    坊ちゃんの記憶
 
 伴侶の友人ハムがワイン党だという話をしているうちに私たちの結婚披露宴(昭和56年=1981年11月)のアルバムを引っぱり出した。ハムがワイングラス片手にとろんとした目で写っている。そのなかにまじって四国の坊ちゃんもいました。
 
 結婚式の日取りが決まったのは式の10日前、案内状を出すまもなく電話で出欠の有無を確かめる。連絡した遠方の友人のなかで出席は四国の坊ちゃんだけだった。友人の祝辞は2名という両家の取り決めがあり、1名は日舞の師匠(25年寅年生まれ、大阪市内在住)、もう1名も25年寅年の坊ちゃんを指名した。
 
 踊りの師匠からは過分で赤面するお褒めのことばをいただいた。ネクストバッターは坊ちゃん。「井上さんは計画性のない人で」からスタートし、そのひとことで会場は笑いにつつまれた。多くの出席者が急な披露宴に戸惑っていたのだ。
坊ちゃんがあらかじめ用意したのはその文言だけ、あとは成行き任せ。ウケたものだから調子に乗ってクチからでまかせ。伴侶の友人は大笑い。
 
 その夜、合流した池袋の後輩(坊ちゃんの同期)とハム、新郎新婦の5名で大阪市内の料亭で会食した。ハムは既婚、坊ちゃんは二児(双子)のパパ、池袋だけが独身。5人で盛り上がったと思うが、何を話したのか思い出せません。
 
 数週間たって坊ちゃんにお礼の電話をしたとき、「奥さんは、家内と一緒に行ったおり会った女性と同じ人ですか?」と聞いたので、「別の女だよ」とデタラメを言ってやったら、「そうじゃろ、そうじゃと思ったけん」と言う。ついでにとばかりに、「式を急いだのは妊娠したからやろか?」と聞く。岳父は末期癌でした。家族のほかに知っていたのは仲人だけです。
 
 坊ちゃんの友人が京都でおこなった結婚披露宴(1979年ごろ)の翌日、奥方と共に京都観光した後に小生の居宅に泊まったことを、奥方が記念写真を見せて坊ちゃんに説明するまで忘れていたと2019年6月末、電話で話しておられました。曰く、「京都でようけ(沢山)お寺を見ちょるのにおぼえとらん」。何もかも忘れている。
 
 昭和46年(1971)初秋、坊ちゃんと信州ドライブ旅行。数年前開通した中央自動車道の茅野か岡谷で降りて白樺湖、蓼科〜妙高まで。
昨年(2021)、何かの話で坊ちゃんが、「井上さんと信州へ行ったじゃろうか?」と聞く。「行ったよ」と言うと、「どこじゃった?」。「蓼科から‥」志賀高原と言おうとしたら、「そうじゃった」と言葉をさえぎる。「じゃった」が濁っていたので思い出したかどうか怪しい。
 
 2019年6月、宝怩フホテルで一夜を明かした坊ちゃんは小生と京都へ。横浜と小松の仲間に京都で合流し京都泊。翌日のランチ前だったか、「いけんばい、きょうは家内の誕生日じゃ。忘れちょった」。ランチは1時から。「3時のバスに間に合うじゃろか」と言うので、「お茶しなければ十分間に合う」とこたえる。
 
 で、お茶せず京都駅前で別れ、小生は駅地下駐車場へ行く前に伊勢丹三越8Fで商品券3000円分を買い、2時間無料駐車券をもらう。エスカレーターで地下へ降りたら坊ちゃんと鉢合わせ。
「井上さん、こんなところで何しとるんですか」。それはこっちのセリフ。「着いたら夜中じゃけん、いまのうちにバースディケーキ買いよるんじゃ」と坊ちゃんは、いつだってマイペース。
 
 あれから3年たった。奥方の誕生日を忘れたことも、ケーキを買ったことも忘れたやろね。道中長いからデパ地下で買った弁当を車内で食べ、夜中のケーキも食べたと思います。
 


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