2022年9月6日    KY君の西国漫遊記
 
 7月中ごろはまだ「着手できておらず、夏休みの宿題とさせてください」とメールに記されていたKY君の「珍道中記」が「西国漫遊記」となって8月25日にメール配信されました。
KY君が後輩のKT君、K君と3人で四国九州の6日間ドライブ旅行をしたのは1973年8月。「西国漫遊記」を読みながら、自分がひとり占めするのはもったいない、紹介すべきという思いが募りました。
 
 追懐文は執筆者や登場人物を知っていると読みたくなるものですが、西国漫遊記は練り込まれており、知らない人が読んでもおもしろく、退屈しないと思います。
昔のことなので「記憶はあやふや、場面場面をつなぎ合わせ、一部脚色も交えて」と前書きされています。この2年、直近のことも思い出せない小生は、時系列に乱れが生じて記憶の断片をつなぐことさえ難しく、刻印を残す出来事は思い出せても、そうでないことは脚色をまじえているような気がします。
 
 当時、大手金融機関に就職し京都支店勤務だったKY君は、土曜の勤めが終わって名古屋から上洛した後輩KT君と合流、KY君の車で神戸へ向かいます。港まで走行中、ガタンと音がして、KT君が「何か落ちとりますよ」と言い、路肩に車を駐めると、30〜40m後方に金属物体。
「エー、まさかや」。マフラーが路上に転がっていました。Uターンできそうになく現場まで歩き、車の流れが途切れたタイミングをはかってマフラーを回収。いまどきのようにスマホ脇見運転がおらず、ふたりとも無事で幸い。マフラーをトランクに放り込み、けたたましい排気音を轟かせながら神戸港へ。フェリーに乗るときは肩身の狭い思いでした。
 
 門司港に接岸するまでの船内で、翌日すぐ修理できるのか、暴走族を装いつつ旅を続けるか考えを巡らし、夕食はどこで何を食べたかおぼえていないが眠りについた。
翌朝は何事もなかったかのようなさわやかさ。道中、トヨタのディーラーに寄って修理を打診。落下したマフラーを取り付けしたのか、新品を装着したのかおぼえていないけれど、余分の現金を持っていってないから付け直しだったようで、取り付けも短時間で終わったそうです。
 
 K君の実家は久留米にあり、合流当日の昼、K君のお兄さんが鰻せいろ蒸しの名店で上等の定食をふるまってくれました。その日はK君のお父さん持ちで雲仙の高級旅館に一泊。宿から雲仙地獄も眺めることができたそうで、大満足の九州一日目。
 
 九州二日目は雲仙から長崎、阿蘇横断(やまなみハイウェイ)、そして別府温泉。長崎市内の名所、快適ドライブで阿蘇の草千里浜などを見学、別府温泉で一泊。部屋の窓からそこかしこにのぼる湯煙が見え、温泉情緒を満喫。
 
 夜のアバンチュールを誰が仲居に発注するかでひともめ。後輩2人は社会人になっているKY君が交渉すべきと主張するが、この手のことに詳しいのは久留米のK君だとKY君がねばって、結局後輩は従いました。
K君がおそるおそる仲居に尋ねたらば、「最近そういうのはちょっとね、あはは」と笑い飛ばす。で結局空振り。仲居にチップを渡さなかったからと反省するも後の祭り。
 
 翌日は別府地獄巡り。想像よりおもしろく充実の午前でしたが、観光地に国際化の波が押しよせ、いかがわしいものは排除されたという印象。前夜のアバンチュールが実現していれば天国と地獄。
別府(または大分)からフェリーに乗り、愛媛県松山(または八幡浜)へ。道後温泉といきたいところでしたが、予算の都合で観光案内所で紹介された松山市内の民宿をチョイスし、午後4時チェックイン。
 
 そこは比較的新しい2階建て住宅でした。民宿というより民泊の感じ。ドアホンを鳴らすと中学生くらいの男子とママさんが出迎えてくれ、通されたのは広めの洋室。ふだんは子どものフリースペイス模様で、個人のお宅にお邪魔している感じ。ご家族とあれこれ話しているうちに子どもふたりがまとわりついてきたそうです。
その後道後温泉へ向い、(有名な)道後温泉本館で入浴。道後近辺に実家のある四国の坊ちゃんは当時東京で就職したから不在。道後で坊ちゃんと行動を共にしていれば別の展開になったでしょう。その夜、どこで何を食べたか思い出せない。民泊の坊ちゃん2人の家で洋室にマットレスを敷いて就眠。
 
 民泊朝食はハムエッグ、サラダ、トースト(なぜかそれはおぼえている)。翌日からは予定なしのフリープラン。最終目的地は高松。松山で坊ちゃんに会えなかったので、代わりに伊予のマドンナTさんに会おうということになったが、誰が連絡を取るかで紛糾。
彼女の連絡先を誰かが知っていたのか、電話帳で西条の彼女の姓の番号をかたっぱしに回したのか、父上の会計事務所に電話したのか。別府同様、交渉人K君が電話する。Tさんにとってはアンラッキーなことに帰省しておられました。遠来(遠雷)の客を冷たくあしらうのもと思ったTさんは、いちおう彼らに会います。場所は自宅近くの公園。
 
 10分で話題は途切れがち。何分がんばったか不明。高松までの道のりもあるのでTさんと別れました。男たちは、すくなくともKY君はTさんに会えたことに満足でしたが、Tさんはどんな気持ちだったのかとKY君は記しています。
 
 高松までは見通しのよいアップダウンの道路が続く。そこで交通取り締まりをやっていた。ドライバーはアンラッキー。旗棒を持った警官に停車を命ぜられ車を誘導されたとき、前輪が安全靴を踏んだと怒る警官。ドライバーは踏んだり蹴ったりの心境。KY君、K君は、ドライバーに同情しながらも自分が運転していなくて安堵。
 
 「いやー、あの下り坂は誰だってスピードが出るよ」と言っても何の慰めにもならないとわかっていても何か言わずにおられません。それから安全運転に徹し、午後3時か4時ごろ高松着。予定が決まらないまま軍資金がきびしくなりサウナ泊。豪勢な雲仙の宿から転落の一途。その転落ぶりを楽しんでいたようです。
 
 翌朝、宇高連絡船に乗って、岡山でK君と別れ、KY君とKT君は北上し山陰へ。スピード違反の反動から山陰の海岸でギャルとの出会いを妄想するKT君。海水浴場でKT君と別れたのか、山陰本線の近くの駅へ送ったのか、京都まで一緒に帰らなかったような気がする。最後に、さわやかな気分で旅を終えたと記されていました。
 
 「西国漫遊記」は一気読みしました。長文の一部を抜粋(98%原文)すると以上です。猛暑の日々を束の間、涼夏に変えてくださり、ありがとうございました。

前の頁 目次 次の頁