2022年11月12日    明日待子
 
 明日待子なんて適当な名前みたいだけれど戦前、ムランルージュ新宿座で大活躍した実在の女優です。2022年8月11日に放送されたドラマ「アイドル」(73分)は明日待子が主役。8月29日に90分版が放送され、11月4日に再放送されました。
 
 73分版を録画してみて、90分版もみて、今回再放送分もみて、3ヶ月のあいだに6〜7回みて昭和を回顧。明日待子役・古川琴音は芝居がうまい。演技の幅が広く、多彩。
ドラマ「アイドル」の原作「明日待子がいた時代」(押田信子著)も買って読みました。すぐれたドラマは昔を追懐させ、すぐれた女優はどのような衣装を着ても、個性的な化粧をしてもぜんぶ自分のものにしてしまう。
 
 役者の胸に演じる役が刻まれてこその芸。秀逸なピアニストは音符を記憶するのではなく胸に刻み、呼吸するように鍵盤を叩く。遠くからきこえてくる鐘の音のほうが近くの音より諸行無常の響きがあると感じるのは、そのほうが胸に刻まれるからかもしれません。
 
 ドラマに描かれなかったことは原作が明らかにしてくれる。ムーランルージュで何度かくり返される踊りと歌「赤いルージュにひかされて 今日もくるくる風車」(劇団歌)の歌詞は劇場主・佐々木千里と親交のあったサトウハチロー作です。
 
 ムーランルージュの女優、踊子に熱を上げた作家に志賀直哉、菊池寛、井伏鱒二、太宰治などそうそうたる顔ぶれ。歌って踊って芝居もイケる明日待子に魅了されたのは斎藤茂吉と茂太、金田一京助など。彼女は金田一夫妻と交流が続き、茂吉は彼女に感動し歌を詠んだそうです。
 
 新宿のムーランルージュのかたすみに ゆうまぐれ居て 我は泣きけり
 
 茂吉が涙したのは、すばらしい芸に対してこみあげるものがあったからです。古川琴音がドラマ「アイドル」で明日待子を再現しました。歌って踊って芝居もうまい女優は松竹歌劇団出身の京マチ子だけと思ってた。ドラマ「アイドル」をみるまでは。古川琴音は三拍子そろった天性の女優。歌も踊りも猛特訓し成果を出している。
 
 常連に黒澤明、漫画家の近藤日出造、清水崑、杉浦幸雄。舞台の共演者に左卜全、益田喜頓、有島一郎。明日待子がイメージガールとなったポスターはカルピス、アサヒビール、キッコーマン、ライオン歯磨き、花王石鹸、三越。小田急電鉄の車内ポスターにも出ています。
 
 戦後まもないころのムーランルージュで人気があったのは満州でアナウンサーをしていた森繁久弥。おだやかで端正な風貌と話術、独特の節回しがウケたのです。学生時代からの常連野末陳平の卒論はムーランルージュでした。
そのころ南座でおこなわれた二代目中村鴈治郎の襲名公演にも出演。鴈治郎の娘中村玉緒はまだ子どもでしたが、明日待子のファンで、南座の楽屋に何度も遊びにきており、同著に写真が載っています。
 
 彼女の主役映画で共演したのは、歌舞伎界では八代目坂東三津五郎(1906−1975)、三代目坂東壽三郎(1886−1954)、映画スターでは喜多川千鶴など。
結婚引退後しばらく経った1973年から2年、北海道の文化使節として欧米公演。国連ビルのステージに立って公演したのは小澤征爾以来です。大歓迎され好評だったとか。戦前戦後、明るい話題を提供しつづけた明日待子は2019年7月、99歳で永眠しました。

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