2022年12月31日    ドラマの周辺
 
 これはと思うドラマが激減して久しい。ドラマを制作する人たちが何もかも揃った家庭に生まれ育っていることに起因するのではないかと訝っていたが、近年益々その思いは強まっている。
街を歩く若い女性(10代〜40代)の声は甲高く、叫んでいるように感じる。気にしないで通り過ぎようとしても耳に入る。話し方に陰翳がなく、必ず出る言葉は「そもそも」。自分をわからせたいという思いで発するキンキン声にもうんざりする。
 
 名作ドラマの再放送をみてしみじみ思うのは、脚本、演出、役者の著しい違いである。すべてが劣化した。制作する側と視聴者は歩調を合わせ退歩する。この20年間のドラマの衰退はインターネットの普及と関係があるのかもしれない。
 
 インターネットは手軽に素早く情報をキャッチできる。それだけの話である。情報操作や偽情報拡散という問題をかかえながらビジネスや学業に一定程度の貢献をしているが、人間の魅力や成長の一助となっていない。
情報を蓄積精査できても、脚本家の手腕不足と役者不足を解消できるわけではない。役者のハラが薄くなり、演技の幅が狭くなっているのだ。役にかける思いがひしひしと伝わってくるドラマはほとんど見当たらない。
 
 明治から昭和中期の女の洗濯作業は洗濯板をこすることだった。洗濯板は長年のくり返しで表面のデコボコがすり減ってくる。労力のムダといってしまえばそれまでだが、忍耐力と筋力が身につき、気骨を育んだ。
明治18年生まれの祖父母は昭和26年、京阪神に父が建てた家へ鳥取からやって来た。食事の世話から掃除洗濯まで祖母がやった。研ぎ石2種類使って毎週包丁を研いでいたような記憶がある。気骨とやさしさに満ちていた。
 
 昭和のホームドラマの常識をくつがえしたのは「岸辺のアルバム」(1977)だった。山田太一の脚本、堀川とんこうの演出、不倫する主婦役・八千草薫の起用に舌を巻き、テーマ曲ジャニス・イアンの歌にも魅了された。
不倫相手とその妻が多摩川河川敷を散歩中(と記憶している)に八千草薫と出会うシーン。彼女の驚いたようす、竹脇無我の素知らぬ暗い顔との対比に現実味を感じた。
 
 鶴田浩二、池部良のドラマ「男たちの旅路」(1976)や、八千草薫が鶴田浩二の妻をやった「シャツの店」(1986)の脚本も山田太一である。シャツの店の演出は深町幸男。男たちの旅路・第3部「シルバーシート」の老人は志村喬、笠智衆、藤原鎌足、加藤嘉、殿山泰司。よくぞこれだけの顔ぶれをそろえたものだ。
 
 「男たちの旅路」の警備保障会社経営者・池部良は太平洋戦争に従軍し、インドネシア、ニューギニアで戦争体験があり、鶴田浩二は戦地へ行っていないが、約2年海軍航空隊に所属し、特攻隊を見送っていたらしい。
鶴田浩二より年長の池部良は俳優としても先輩であり、男たちの旅路でなんともいいようのないすばらしい芝居を分かち合う。かわすセリフはなきに等しいのに通じ合う人間。名優が織りなすドラマ。主人公や主要な登場人物に共感できないドラマは、笑わせてくれないコメディと同じ。脚本にめぐまれても演者がヘタなら共感を呼ばない。
 
 演者が役の人生を生きるならそれなりの芝居は可能なはずだが、そうでなければ自分に合った役がくるまで待ちなさい。吉永小百合や笑福亭鶴瓶、萬田久子、賀来千香子、北川景子のごとく伏し目になるときでさえサマにならない芝居を続けるダイコンを手本にして工夫を重ねていけば花の咲く日がくるかもしれない。
 
 深町幸男は大岡昇平原作のドラマ「事件」(1978〜80)の演出を手がける。手弁当をいとわない弁護士役・若山富三郎の役を読みきる力、そして表現力が絶妙。
 
 向田邦子脚本によるドラマ「阿修羅のごとく」(1979〜80)や、「眠る盃」(1985)、「女正月」など「新春シリーズ」もよかった。阿修羅のごとくは和田勉、ほかは久世光彦が演出。フランキー堺、杉浦直樹、加藤治子、小林薫がいい芝居をした。「花嫁人形は眠らない」(1986)の笠智衆、池部良も抜群だった。田中裕子の芝居はまずまずだけれど口跡がわるい。
 
 早坂暁が脚本を書き、桃井かおりが主役をやった「花へんろ」(1985、86、88)も思い出深い。下條正巳、沢村貞子、内藤武敏、中条静夫が渋い脇役をつとめた。早坂暁は現松山市出身、愛媛の風景と松山弁を身近に感じ、四国出身でもないのに子どものころや学生時代の追懐にふけった。
 
 「北の国から」の脚本家・倉本聰もよかった。父親役の田中邦衛だけでなく、子役の純(吉岡秀隆)、螢(中島朋子)も生涯の当たり役だった。吉岡秀隆はおとなになってヘタになった。純の友だちの祖父・大友柳太朗にしびれ、レギュラー陣では地井武男、熊谷美由紀がよく、ゲストの洞口依子、古尾谷雅人の好演も印象に残る。
 
 大河ドラマは「真田丸」と「麒麟がくる」で一時の失速を取りもどしたものの、以降再失速し、「鎌倉殿の13人」は「真田丸」と同じ脚本家と思えぬ零落。
 
 朝ドラ「舞いあがれ」の脚本はどうしようもなく稚拙。主人公はえびす顔と無機質顔をいったりきたり。さまざまな気持ちを表現できていない。相手のせりふを知らないはずなのに知っているような顔をする。
一本調子でのっぺりしたせりふ回しにも問題があり、オーディションで彼女を選んだ者は漫画チックな印象と舌足らずな発声だけで決めたのかと思ってしまう。それにしても単なる時間稼ぎにすぎない会話をくり返して脚本家は飽きないのだろうか。
 
 明治時代を描いた朝ドラ「あさが来た」(2015)の奉公人役・清原果耶は当時14歳だったが新人とは思えない芝居をした。感情をきめ細かく表現できていた。大森美香の脚本もよく、演出と大道具も出色、出演者も気合いが入って連帯感があった。みるたのしみを満喫させてくれた。ドラマは共同作業、ひととおり揃っていなければ芝居にならない。
 
 「本日も晴天なり」の演出・菅野高至は高島礼子の「御宿かわせみ」(2003−2005)で制作統括を担う。「晴天なり」は東京人形町と松江を交互に映しだす。江戸弁は主人公の父親役・津川雅彦に生かされた。人形町の職人・津川雅彦、妻・宮本信子の芝居が滑稽で続きをみたくなる。素直で明るく活発な主人公・原日出子、夫役・鹿賀丈史もいい。
 
 傑作なのは松江の祖母・原泉と本家の大叔父・下條正巳。うまいのうまくないのといったらない。すらすら出る方言が自然でよどみもないと思っていたら、原泉は松江生まれだった。松江と米子のことばは同じで、米子の伯父伯母を思い出す。
ドラマをみて伴侶が、語尾に「だがや」をつける伯父のクチマネをする。頻出するのは「そげだがや」(そうだの意)。
 
 米子の伯父が「そげだがや」と言うと、鳥取の従兄が「そげだ、そげだ」と茶化す。鳥取県東端の鳥取市と西端の米子市では方言が違い、鳥取市で「そげだ」はほとんど使われない。伯父の好物は酢豚。伴侶のつくる酢豚にほころぶ顔が浮かぶ。
 
 下條正巳のような芸をする人も原泉も時代が生み出した。気骨や風情は時代と経験によって身体にしみつくもので、学んで得られるものではない。明治、大正、昭和中期に吹いた風を、平成、令和の人たちがなびかせることはできないのだ。スマホ社会の手軽さ、安直はなおさら気骨や風情を阻むだろう。
 
 昨年の暮れに旅立ったU君は傑出していた。当人は特段おもしろいことを言っているという意識はなかったのかもしれない。古美研庭園班OB会がスタートしたころ、2005年か2006年、「奥さんが庭園班の後輩だから逆らったりしないのでは」と問うと、「とんでもないですよ。出ていけと怒鳴ったら、お前が出ていけと怒鳴り返されました」と言っていた。
 
 笑うに笑えず、帰宅して一番にその話をしたら、伴侶は小生の分も笑った。U君、KY君など五大老と呼ばれた同期の人たち5人はいわばOB会の華。ドラマの外にもドラマがあり、次は何が出るのか楽しみだった。
2018年12月、京都でのOB会でU君やKY君、そしてその後輩KT君がひとしきり笑わせてくれて小生のOB会は終わった。

前の頁 目次 次の頁