2023年9月6日    梅ちゃん先生
 
 堀北真希をテレビでみたのはドラマ「篤姫」(2008)の和宮。篤姫役の宮崎あおいは朝ドラ「純情きらり」(2006)の主役をやったとき注目し、将来のテレビドラマを支えてゆく女優になると思った。
堀北真希がどのような芝居をするのか、宮崎あおいの芝居と較べて見劣りするのではと勘ぐったけれど、宮崎あおいが篤姫であるのと同様、堀北真希は和宮だった。
 
 滅多にみない朝ドラをみたのは、「梅ちゃん先生」(2012)の主役が堀北真希であるからだ。録画して全話みた。おもしろかった。英国ドラマのように脚本、演出、役者、キャスティングに優れ、随所にユーモアが点在した。舞台は戦後まもない(昭和20〜30年代)庶民の町・蒲田。そこがいい。世田谷の住宅地ならまったく異なるドラマになっていたろう。
 
 笑う門には福来たる。福は来なくても、ひととき笑って過ごせれば値千金と思える年齢、体調になった。2023年7月3日、某BS局で「梅ちゃん先生」の31話〜36話を放送しており、懐かしくなって視聴。それから毎週予約録画している。2ヶ月経過し80話〜90話になり一段とおもしろい。
梅ちゃん先生の出演者で印象に残ったのは、高橋光臣、木村文乃、佐津川愛美。現代劇でも時代劇でも役をこなせるのが彼らの共通点。高橋光臣はその後「神谷玄次郎捕物控」(主役)、佐津川愛美は「京都人の密かな愉しみ」や「赤ひげ」にも出ている。木村文乃の時代劇は役によりけり。
 
 鶴見辰吾、高橋克実、倍賞美津子などのベテラン陣も好演し、途中出場の世良公則、これから登場する銀粉蝶と役者がそろった。見事なキャスティングに応える芝居。
町医者の世良公則は思い出に残るシーンを演じ、味のあるセリフを言う。コメディアンではない高橋光臣と高橋克実が笑いを誘うのは頑固で融通のきかない役をやっているからだ。とぼけているのではと思えるほど話が通じない人だから笑ってしまう。車寅次郎(渥美清)がおもしろいのは、融通がきくのに頑固な点。人の話を聞いていそうで聞いていないところ。
 
 コメディは言動が真面目すぎて唖然とするから妙味がある。ウケ狙いの仕種やセリフ、わざとらしい動作はつまらない。ユーモアと無常観は隣り合わせ、ワンセット。そのあたりを生かせないコメディアンはダイコンというほかない。
伴侶が「わざと」を英語で言うと何?と質問した。思い出せない。ウォーキング・ディクショナリーと言われていた人がねと冷やかす。「on purpose」と言われて思い出す。小生の母は女学校時代ESS(同好会)の部長だったらしい。65歳を過ぎて英語力はガタ落ち。親子は似ている。
 
 梅ちゃんのどこか頼りないところ、自分より他人を優先させるところが伴侶似。料理、掃除、洗濯、アイロンかけ以外を小生がやってきて、自然に頼り癖がついたのか、動こうとしない。小生がよく言ったせりふは、「動こうとしないタイプと暮らせば何事も停滞する」。こうも言った。「そういうタイプなら仕方なく動かざるをえない」。
しかし小生が動けなくなった今は旅行もひとりで行くしかないので、計画を立て一人旅を果敢に実行している。それよりもなによりも伴侶の功績は、40年のあいだ肝心なときに小生のあるべき姿を示してくれたことです。
 
 看護士を定年退職後、梅ちゃんの医院に勤めることとなる銀粉蝶の立ち居振るまいが堂に入っている。どんな役柄でもこなせる女優。彼女が役に入るのではない、役が入ってくるのだ。大衆食堂の女将・岩崎ひろみがサマになっており、娘役の宮武美桜(みお)もよかったのに、近年、宮武美桜の出演作がないのは引退同然となっているからだろうか。
 
 人間の入れ替わりは世の常であるとしても、たいしたことのないプロデューサーやディレクターとの人間関係が密接でなければ起用されない国の役者はやり甲斐がない。プロダクションとか事務所の力関係はオファーに影響をもたらし、それもこれも人間関係が関係してくる。そうして日本のドラマの質は低下する。
 
 堀北真希がこれからという時に山本耕史と結婚、翌年引退し、芸能界の数少ない財産が一人失われた。テレビドラマの世界はニューフェイスが次々にあらわれて消える。まことに出入りの激しい業界である。
世はスマホとSNSに席捲されたかのような様相を呈し、そうした流れにテレビドラマ界も歩調を合わせる。彼らにとってテレビドラマはもはや古いのだ。連続ドラマは最低8回、それさえ長いのだろう。10日で流行は変わる。すくなくともそう見なされる。
 
 よくできたドラマをみていると昔の出来事やちょっとしたシーンがよみがえる。時には誰かの片言隻語を思い出す。誰かは著名な故人ではなく家族とか知人、恋人。結局、追体験しているのだ。
梅ちゃん先生を6話分90分をまとめて視聴。総計156話なので、まだ66話残っている。長い外出ができなくなるとそれなりに愉しみができるもので、千両を小分けに使うような気分です。

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