2010-07-04 Sun      旅のスタイル(2)
 
 旅は計画を練るときからはじまる。もし計画立案がなかったなら旅はつまらないものとなるだろう。目的地がどこであれ、旅行者の嗜好の細部が旅程に反映されなければ他者の旅である。旅行代理店主催のツアーは細部が切り落とされ、かなりアバウトな部分でエイ、ヤッと決めなければならず、旅行者本人の嗜好(とか志向)は反映されないのが常である。計画には時間と手間を要するが、練りこむことによって手造り感に磨きがかかり、自分だけの旅となる。
 
 行きたいところだけを選び、逗留したい日数を決め、泊まりたい宿を物色し、場合によっては町のレストランを予約する。レストラン選びはミシュランに任せてはならない。ミシュランは味がよくても食器や壁紙、テーブルクロスなどに高級感がなければ星を与えない。ミシュランを参考にするなら星の数ではなくグルマン・マークを頼る。
権威ほどあてにならぬものはない。信頼に足るガイドブックはボタン・グルマン、そして自分自身の舌。小さな町で情報入手困難なときは現地インフォメーションや宿でお薦めのレストランを聞き、自分の好みに応じて選択すればいい。
 
 宿は高級なることを是とせず、巷間ささやかれる一流なるものには目もくれない。一流、高級は必ずしも快適とはかぎらない、むしろ不快なことが多々ある。いったい誰が一流とか高級の評価を下したのだろう。どこの誰兵衛がいったにせよ、何を基準にそう決めたのか。宿泊料金が高く、それなりの設備が整っているから一流というのは論外。
【スタッフの品のよさと物腰、過不足ない応対、客の心をつかむもてなし、寝心地のいいベッド、清潔なシーツ、磨きあげられたバスタブなど】が宿の何たるやを顕示する。ヨーロッパで名門とよばれるホテルの多くはそうしたものを持っている。それらは特別のものではない、英国のB&Bが少なからずそうであるように、古い町に住む経営者やスタッフの顔が特別なのだ。彼らにとって【上記】は至極あたりまえのことである。
 
 都市ホテルの食事はホテルの規模が大きければ大きいほどうまくない。食材を吟味し、数名分を作って程よい味を保つのが料理の基本。家庭料理がうまいのも、飽きがこないのもそういう理由による。一日に百名分の料理を作っておいしいと感じられるのは月に一、二度。たまたま居合わせたなら幸運というほかない。不特定多数の見知らぬ客に対して常にうまい料理を提供できる料理人の存在するのはフィクションの世界。フランス随一のシェフよりおいしいお袋の味(お袋=シェフの母)。旅先では新鮮な食材を供出する小さなレストランを選ぶべし。
以前、学生時代のOB会の折、南禅寺から二条橋に至る道を歩いていたとき英国での食事のことを某女に尋ねられ、「おいしいレストランは家庭料理的です」と言ったらば、「料理がシンプルってことですか?」と聞かれたので、「いえ、必ずしもそうではなく、家庭料理にも凝ったものはあります。要は何人分作るかです」と応えた。歩きながら突っ込んだ話はしにくいこともあって、それ以上の展開はなく、某女も怪訝な顔をしていた。
 
 英国、あるいはヨーロッパの町を旅して、町はきれいだし緑も多いし、景色は美しいけど食事がねえといった声をよく耳にする。特に英国においては誰がいったか知らぬが、英国でうまいのは朝食だけという迷言もある。そう思うのは、個人旅行か団体旅行かは別として、ロクに下調べをしてこなかったか、現地の人間(インフォメーションのベテラン職員)に問い合わせなかったか、ツアー主催者にサービス精神が欠けているか、よほど運がわるかったか。
 
 個人旅行であるからいって、道ですれちがった同胞に挨拶もせず知らないふりをするのもよろしくない。個人旅行か団体旅行かにかかわらず礼儀は基本。異国人には挨拶するが同胞にしないというのはどういうわけか。
旅はほかのものと同じで、時間と手間をかけたならかけただけのみかえりはある。よしんば期待通りのみかえりはなかったとしても何かが残る。残ったものは、みかえり同様旅の果実であるだろう。果実は種となり、早ければ次の旅で実る。
記憶の壁はどんどんはがれてゆく。はがれたものを修復するのは至難。すっかりはがれ落ちて形骸のなくなる前に記しておきたい、誰のためでもない自分のために。
 
                          (未完)
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