2011-06-11 Sat      英国しか愛せない(1)
 
 あれはいつであったか、イングランド関連書を立ち読みしたとき、コッツウォルズ、そしてノースヨークシャー・ムーアの写真をみて胸がいっぱいになったのは。
掲載されていた写真が特別よかったわけのものではないし、説明文もありきたりで心がざわつく類の文章ではない、なのに胸中に去来したのは、スローター村からチッピングカムデンにいたる車1台しか通ることのできない小径に自生する無数の雑草(2mほど)がさざ波のごとく揺れる光景であり、荒涼たるムーアをわたる風にあらがいきれずうめき声をあげていたヒースであり、北海の白い砂浜を見下ろして屹立するバンバラ城である。
 
 南から北に向かって車を走らせていると急速に空が暗くなっていく。遠くで雷鳴がとどろき稲妻が光る。さっきまでそよとも吹かなかった風が突然疾風に変わり、土埃を運んでくる。大粒の雨の落ちる気配を予感し車は悲鳴をあげた。雲が狂人のひたいのように地面低く下りてきて、雨がザァーという音を立てた。
 
 子どものころに経験した夕立を見なくなってどのくらい時が経ったろう。そのころの夕立はいさぎよかった。夕立にあって濡れてもいやな気はしなかった。すがすがしかった。夏の風物詩の代表格だった。6月のイングランド・カントリーサイドに降る雨はあのころの夕立を喚起させる。
雨がやむと景色はいきいきする。丘陵のつづくゆるやかな道を走っていると突然ポピーがあらわれる。無数のあざやかな赤は緑を押さえんばかりに、誇らしげに自己主張する。なのにかわいい。そのまま通りすぎるのが惜しいような気もして車を停め、6月のかぐわしい空気を吸う。
 
 いつのころからか英国しか愛せなくなった。スペイン、ポルトガルの小さな町、フランス北部&南西部の町にも心ひかれる風景はある。だが再訪するとなればかつて旅したイングランド、スコットランドの小さな町や村だ。ほかに行きたい場所はない。都会にあたりまえのごとく存在するものがそこにはない。だが、ないがゆえに在るものに満ちあふれている。
 
 郷愁をもとめて旅にでるのではない、旅を終えたとき郷愁となっただけである。もはや私をいやすことのできる国は英国だけになってしまった。
                     (未完)                 

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