2004-10-13 Wednesday
チェルトフカ
 
 プラハの美しさは独特で、旧東欧の町の多くがそうであるように美しさに翳りがある。開高健が東欧の美しさを云うとき、抑圧された美とかなんとか云っていたのだが、プラハは抑圧美の名残がいまだに存在する町であると思う。
それはつまり、旧ソ連の圧政下にあったころのチェコスロバキア国民が、言論の自由など自由を制限され、明らかに抑圧された日々を送らざるをえなかったということであり、ほの暗い抑止生活からときおり立ちのぼる色香を、石畳にたたずむ女に感じてドキッとすることである。ある種の淫靡は露わであることによってではなく、隠され抑圧されることによって急所に届くのである。
 
 中高年ならすでにお察しのとおり、逢い引きして記憶にとどまるのは高級ホテルの絢爛豪華さではなく、辺鄙なところにひっそり立つ瀟洒な宿や、そこの小さな喫茶室、農家の干し草小屋、狭い車内である。
都市ホテルは無機質でつまらない。密会は互いが素知らぬふりをして楽しむものであり、ハラハラドキドキの密会の内容は数年たてば記憶から消えている。
 
 プラハを歩くと、しばしばゾクッとする美形とすれちがう。若い女はみな新体操の選手かと見まがうほど均整がとれていて、顔立ちも小鼻がツンと高く、額の恰好もすこぶるよく、目と唇は濡れている。頬は彫刻的で彫りが深い。
アジア女性の多くは、たしかに化粧法の飛躍的進歩によって化けるのはうまくなった。のっぺり顔も立体感のある顔に見せるし、糸みみずの目もパッチリ見せる。なに、化粧を落とせば元の顔、彫刻とはほど遠い。
 
 プラハを流れるブルタヴァ川の支流にチェルトフカという名の用水路のような細い川がある。大雨で増水したら、建物の一階に住む人々は往生するだろう。プラハも稀には集中豪雨を被ることもあり、水位を調節する装置が欲しいと住民なら思うと思う。
チェルトフカはカンパ島でブルタヴァ川に合流する。島といっても、川との境界に建物が隣接しているし、起伏らしい起伏もなく、島という名に似つかわしくない。1833年、カンパ島のマルタ広場あたりの高級宿にフランス・ロマン派の代表格シャトーブリアンが逗留していた。創作の構想を練っていたのであろう。
 
 当時のプラハはハプスブルク家の都の一つでもあったから、ソ連ほどの圧政ではなかったろうけれど、抑圧美が豊潤な匂いを放っていたと思われる。シャトーブリアンの逗留が少々長引いたのはそのせいかもしれない。
チェルトフカは「悪魔の流れ」という意味を持つという。マルタ広場に住んでいた女が悪魔のようであったことからそう名付けられたというが、はっきりしないのは、女のどこがどう悪魔的であったのかである。悪魔のように恐ろしげな風貌をしていたのか、女の行為が悪魔のようであったのか。それはいかなる行為なのか。冷酷非道なのか、男をたらしこむ技巧が悪魔のように長けていたのか。女の体内から発散されるアドレナリンがきわめて蠱惑的で、魅入られたように虜になった男が多かったのか判然としない。
 
 そのような詮索より、プラハを再訪してあたしを見てとでもいわんばかりに、チェルトフカは静かな川音を立て悠然と家並みのあいだを流れている。

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