2004-11-14 Sunday
カルカソンヌ点描

 
 仏蘭西ラングドック地方カルカソンヌを旅したのは1999年10月中旬、わずか二泊三日の滞在だった。出発の二ヶ月前から宿の予約をこころみたが、泊まりたい宿(ホテル・ド・ラ・シテ)は宿泊予定日の二日目しか部屋がなく、一泊づつ別の宿に泊まるのは、荷をつめたりほどいたり、宿から宿へ移動したりが面倒ゆえ、しかたなくほかの宿を予約した。
 
 ド・ラ・シテに泊まりたい理由は単純明快、名前の通りシテの中にあるから都合がよい。かつてそこは牢獄であったらしく、ド・ラ・シテの裏側は二重の城壁で隔絶されている。英語ガイド付き城塞観光に参加すれば詳しい説明を聞ける。城壁の上からド・ラ・シテの「庭つき部屋」を高みの見物でき、なかなかのものである。その昔は、番兵が城壁に上って囚人を監視し、現在は観光客が宿泊客を品定めする。それがイヤで、観光時間中、庭に出る宿泊客は少なかろう。
(シテについては大雑把に「カルカソンヌ」に記したので、興味ある方はご覧ください)
 
 シテは年中観光客が多い。シテ内にはレストラン、ギフトショップなどが連なるように営業しているが、一部の店舗以外は語るに値せず、特にレストランの味は、一軒を除いて評にかからない。シテ特有の中世的雰囲気を求めるなら、人気のない朝、二重の城壁のあいだを散策するか、夜ライトアップされたシテをオード川にかかる旧橋(ポン・ヴュー)から眺めるとよい。中世にライトアップはなかった、なんて野暮なことはいわないこと。
 
 シテ自体が19世紀に修復されたのであってみれば、ライトアップは満月の月明かりと思し召され。城塞はヨーロッパ随一の規模ということゆえ、漆黒の闇に浮かび上がるシテの偉容はみる者を魅了するだろう。
さて、滞在初日の夕食はド・ラ・シテ内のレストラン「バルバカン」(La Barbacane)を予約していた。レストランの作りは高級感にあふれていたが、米国からの団体客がどんと陣取っており、高級は恒久に吹き飛んでいた。肝心の料理はというと、私たち3人(家内、義姉、私)はバラバラに異なるアラカルトを注文したが、よかったのは皿だけ。皿も食べるのなら及第点。
 
 その夜、シテの夜景をみての帰り、ド・ラ・シテの左側にひっそりたたずむ瀟洒なブラセリーの前で足をとめたところ、扉が突然ギーと開き、若くて感じのよい給仕係がニッコリほほえみ、私たちに挨拶した。彼のとっさの応対と物腰は自然で、十分評価に値するものだった。
こういう従業員のいるレストランは当たりはずれがない、経験がそうささやいた。家内、義姉の顔を見ると同感と顔に書いてあり、早速翌日の夕食を予約した。扉右上の壁にグルマン・マーク=ボタン・グルマンの小さなプレートがさりげなくく掛かっているのを三人で見やりながら。
 
 ブラセリーの名は「Chez Saskia」という。サスキアはちょうどブラセリーとビストロの中間といった規模のテーブル数で、大きくも小さくもなく、ほどよい空間と手軽にくつろげる雰囲気、清潔感に満ちていた。サスキアに関しては、「Essay」(下のバナー)2001年4月の「サスキア1〜3」へ。サスキアで隣のテーブルに座ったカナダ人旅行者が傑作であったので、お読みいただければ幸いです。
 
 南西仏蘭西はラングドック、ルシオン、ペリゴール地方など魅力にあふれるところが点在していて、どこを起点にしても、いきあたりばったりに旅しても、風景と人との出会いが豊かな果実をもたらしてくれるでしょう。

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