2005-01-05 Wednesday
パブリック・フットパス

 
 英国旅行の楽しみはパブリック・フットパスを歩くことであるといっても過言ではない。
パブリック・フットパスは概ね「公衆が歩く権利をもつ自然歩道」のことで、英国のいたるところにあり、市民の憩いの場となっている。
フットパス(と略します)のほとんどはは私有地で、所有者は自分の権利より公衆の歩く権利を尊重しなければならない。そこがいかにも英国的。尊重せず拒否すれば歩く権利を侵害したとみなされ提訴されることもある。
 
 カントリーサイドの快適さを満喫したいならフットパス歩きがよいと思う。カントリーサイドというのは田園とか田舎という意味ではなく、「石垣や生け垣で仕切られた牧草地とか草地」のことである。フットパスは、わずかな例外をのぞいて地道である。舗装された道(一部が石畳というところは存在する)をフットパスと称するのはその名にふさわしくない。
180年ほど前の英国では、フットボール(サッカー)が一般道で公然とおこなわれていた。それかあらぬか1835年、公道法なる法律が施行され、一般道でフットボールをおこなうことを禁止した。しかしほとんど守られず、考えあぐねた政府は一計を講じ、フットボールのためのスペースを公的に確保し、そこに散歩道をワンセットで設けた。それが都市部のフットパスの由来という。
 
 田舎のフットパスは、ヒツジの多い英国で、放牧用の土地を人間も歩けるようにといった考えから設けられたそうである。ヒツジの放牧地はもちろん私有地だが、所有者の好意で、人々が「歩く権利」を行使できるというわけだ。
英国には「歩く権利法」というものまであり、「2000年カントリーサイド 歩く権利法」が「フットパス保存教会」によって確認されている。現行の「歩く権利法」は1932年に可決された。
 
 フットパスを歩くとき特に注意せねばならぬことがある。ヒツジはところかまわず糞をたれる、それも大量に。古くなったものは愛嬌といえるかもしれないが、できたてのほやほやは湯気が立って生々しく、愛嬌どころではない。こいつをスルリとよけながら歩く。
私は水洗式トイレが普及していなかった世代に属するので平気であるが、生まれたときから水洗式に慣れ親しんでいる世代はどうだろう。汲み取り式トイレを知らない方々はフットパスは結構、パスしますというのだろうか。
 
 上の画像の親子は、どうみても汲み取り式世代とは思えない。が、ヒツジの落とし物などいっこう気にするふうもなく、和気藹々と歩いていた。湿った樹々の香り、草地から立ちのぼる大地の吐息、遠い彼方を旅してきたそよ風と遊んでいるかにみえた。
ヒツジの落とし物を忌まわしいと思うか、森羅万象のひとつと思うか、思い方は人さまざまである。よけながら、踏まずに歩くのも一興と思うことがフットパス歩きの極意なのかもしれない。ところで、どこかのフットパスを夜中に歩きはじめて、明け方に歩き終わるというグループがあると仄聞する。踏まないことが自慢なのに、いくら懐中電灯持参とはいえ、足もとが暗いとうっかり踏んでしまうこともある。私はそれだけはパスしたいと思う。

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