2005-04-10 Sunday
空の上のコルド

 
 喧噪と雑踏、汚れた空気の充満する都会を愛する人は別のことを思うのだろうが、旅に出ると、遠い小さな町に見るべき何かが存在するのではないかという思いに至る。
 
 大都会の多くはよそ者で構成されている。よそ者といって具合がわるければ、移住してきた人々が人口の多くを占める。移住といっても何百年も前のことではない、ほんの数十年前か数年前のことである。その点、田舎の小さな町に住む人々はほとんどが何代にもわたりそこに暮らしている。両者の違いをあえていうと、守るべきものが何か知っているかいないか、知っていても実行するかしないかである。
なぜそういう違いが生じるか。それは、先祖代々そこに生まれて住んでいれば、守るべきものが何であるかを生活の実践を通して両親や祖父母から学ぶ。町の景観は保全保護しなければ朽ちる。それを防ぐのは住民意識の高さである。文句百曼荼羅ならべるより、家族の実践が住民意識を高める。
 
 父祖代々が守ってきた土地や家に住んでいたのではなく、よそから移り住んだ。この先も生活の拠点がどこになるか知れたものではない。だから、いま住んでいる場所を守ろうという意識が薄い。事はその繰り返しである。古くなれば買い換えればいいのだろうか、まだ使えるのに。故障すれば捨てればいいのだろうか、修理もせずに。
大都会の景観を急速に悪化させた原因はほかにもある。収益先導型の事業ならまだしも、税金で賄われる公共事業を誘致する議員と役人は、穴掘りさえやっていれば雇用を促進できると考えた。公共事業の一つである都市再開発事業も、見込まれる人口増加が、市町村に納付される固定資産税、住民税の増収に結びつくと考えた。
 
 小さな町はどう考えたか。税金を無駄遣いして町の景観を壊す公共事業は要らない。観光業を起ちあげ、旅行者の利用するホテル、レストラン、駐車場などの売り上げの一部(数l)を目的税として徴収しよう。それで町の景観を守ろう、そう考えた。
肝心なのは、あつめた税収をどう使うかである。献金とパーティ券のため、ゼネコンなど土建屋にたれ流すか、住民本位に使うか。ツアー客が頻繁に言うセリフがある、「こんなにすばらしい景色、よく残ってるねぇ」。残っているのではない、残したのだ、住民の意志で。守られていたから残った。そうでなければ消滅している。
 
 南西フランス・ミディピレネーのタルン県、国道D600とD922とが交差する西に、人口960人ほどの町コルドがおごそかに佇んでいる。ツアー客の宿泊するアルビから北西25`の距離である。皮革産業の町として栄えたスペイン・コルドバにあやかって14世紀ごろ命名されたという。
町全体が石のかたまりといってもよい。アルビからD600を北西に進むと、忽然と偉容をあらわす。コルド全景の荘厳な美しさを中世的と形容するのはたやすい。車窓から眺めるコルドのすがたは見る者を魅了せずにはおかないだろう。「Cordes sur Ciel」=「空の上のコルド」と呼ばれるのも決して誇張ではない。
 
 観光バスなどの大型バスは絶対に入れない、乗用車一台入るのがやっとといった城門をくぐりぬけると、狭い石畳の急勾配の路地がつづく。路地は石造りの家並みの左右にあって、左が上り専用、右が下り専用。路地の外側にもそれぞれ家並みがあり、家並み、路地、家並み、路地、家並みのサンドイッチ。
車に乗っていると家が顔にぶつかりそうな距離だ。町の頂(いただき)付近にある広場の前で降りた。10月半ば、訪れる人もまばらで、そこはかとなく芳潤な香りがただよい、静寂につつまれたコルドは私たちを迎え入れてくれた。
 
 予約ずみの宿を探したら、そこがホテルの入り口と思えない、迷路の始発点のような門柱をかいくぐって玄関へと歩を進めた。が、玄関の扉は閉まっていた。扉に「暗証番号ご要りようの方は本館へ」と印字した紙が貼られていた。本館といっても古ぼけた遺跡と見まがうばかりの石造物なのであるが、そこへ行って暗証番号を教わった。古い重い扉を開けるのは金属製の鍵ではなかった。中世と現代の絶妙のアンバランスとでもいうべきか。
14世紀はかくもあらん。部屋は広大で、天井も異様に高く、義姉は古色蒼然とした部屋の広さに喜んだのも束の間、そのうち不気味さに気づいたのか、隣室で奇声を発していた。何といったか聞き取れなかったのは、音がこもって、こだましたからである。木霊?さもありなん。
 
 おそい昼食をとった鄙びたレストランは、1階も地下も天井が低く、木造の床はミシミシ鳴った。天井の低いのは庶民の家ということだろう。女将に問うと、「そりゃあ700年はたってるから」とのことだった。それでもこうして現役を続けていられるのは、女将の尽力のタマモノかと世辞をいえば、「なに、町のおかげさ。いまはお客もいないけど、夏に十分稼がせてもらったからね」と言っていた
静謐に満たされ石造彫刻のように立つコルド。にぎやかな女将。町の全容を見渡す丘までの道順を尋ねたインフォーメーションの若い女。広場にいた気さくな父子。人々はみな見事に町に溶けこんでいた。
 
 コルドの全容をみたかった私たちは丘まで歩きに歩いた。丘の登り口までは舗装道だったが、そこからは細い地道。前日の雨で地道は少しぬかるんでいた。だが、そんなことは意に介さず一気に登りつめた。はたして丘の頂は私たち三人(家内、義姉、私)の貸し切り、人の影さえなかった。
丘の頂にたどりつき、コルドを眺めたときの感動は言葉でいいあらわせない。みな無言だった。丘に日が落ちるまで眺めていた。あのときの感動をどういえばよいのだろう。喜びがいったん空中に飛散し、脳を経由しないで直に血管に入ってきたとでもいおうか、感動が皮膚から入って鳥肌が立った。感動が血液のすみずみに行きわたり、えもいわれぬ感覚に充たされた。
 
 私は旅をするために、旅をして思い出をつくるためにこの世に生を受けたと思っている。旅は未知への憧憬に取り憑かれておこなうものであり、旅情をかきたてるのもある種の好奇心から発するものであると思う。悲劇的ともいえる体験をへてなお生きてゆけるのは、好奇心を失わないからではないだろうか。好奇心を持ちつづけていれば、人は希望を捨てないのではないだろうか。
 
 丘の上に立つと遠い日の記憶がよみがえり、魂の震撼をおぼえた。そして、あれから6年の歳月が過ぎていった。

PAST INDEX FUTURE