2002-03-25 Monday
コートダジュール
 
 熱い、妙に熱い。暑いのではなく熱かった。
 
 南仏のオートルートを時速130キロで飛ばしていたときはそうは思わなかったが、高速道路を降り、ボルド・メール98号線を1キロほど走り、アンティーブにさしかかったところで渋滞にまきこまれ、ノロノロ運転しはじめたら、背中は火がついたように熱く、臀部は鉄板の焼肉だった。
窓を開けると、ロクに整備もしていないオンボロ車がボォッと吐き出す黒煙のにおい、赤くやけどをしたアスファルトからの照り返しで脳しんとうを起こしそうだった。
 
 排気量2900ccのフォード・スコルピオATのエアコン吹き出し口から襲いかかる温風に攻め立てながら車内温度計を横目でにらんだ。
デジタル温度計は無情にも摂氏35度を示していた。
シャルル・ドゴール空港経由でニースのコートダジュール空港に到着し、AVISでレンタカーの手続きをして、アンティーブまでの道順を確認し、道路地図に目印をつけ、意気揚々とスコルピオに乗り込んだのだが。日本で事前予約した2000ccのメルセデスをアレンジできなかったので、「フル装備、オートエアコン、本革シートのスコルピオをご用意いたしました」と、ソフィー・マルソーそっくりな美女に言われれば、「メルシ、マドモワゼル」と応えるのが紳士の礼というものであろう。
 
 ところが、どこがオートエアコンなの?、ヒイヒイ悲鳴をあげて、生ぬるい風しか出ないじゃないの。頭に血がのぼっていたせいか、道までまちがえてしまった。一本か二本、早く左折したために、途中で道路は極端に狭くなり、アレヨアレヨと思う間に狭隘な石畳の道があらわれ、まるで古代ローマの城塞に迷い込んだような錯覚をおぼえた。
 
 そうこうしているうちに海岸べりに出てしまった。そこが行き止まりなので仕方なくUターンした。小回りのきかない車は、こんなとき不便この上ない。切り返しを繰り返していたら汗がふき出た。こうなったら腹を決めて湾岸道路に沿って行けるとこまで行くしかない。対向車が来たら疑いなく立ち往生しそうな湾岸道路の狭さなど気にしてもどうにもならない。そのうち何とかなるだろう。
 
 そう思ったら気が楽になった。2、3キロ走ると湾岸道路は右に曲がり、古ぼけた小さな石造りの門をくぐると、町へ向かう道につながった。100bほど先に三叉路があり、その角にコンビニがあったので車を停め中に入った。短パンにサンダル姿の若い男にホテルまでの道順を尋ねた。男は地元の人間でもフランス人でもなかったが、このあたりの地理に詳しかった。説明もわかりやすく、男の指示通り行くと、いままでさんざん迷ったのがウソのようにホテルの門に着いた。
 
 写真でしか見たことのないそのホテルは、アンティーブ岬の先端に立つ白とベージュの壮麗なたたずまいをした建物だった。駐車係の青年に車のキーを渡した。彼はいったん運転席に座って車を動かそうとしたが、一瞬怪訝な面持ちで私を見た。
青年はごく控えめに、礼儀正しさを失わずに言った。
「ムッシュ、失礼ですが、シート・ヒーターをつけっぱなしになさっておられます」。
 
 7月上旬、外気温は30度を超している。いくら物好きでも、この暑さのなかでシート・ヒーターをつけて走るバカがいるか。慣れぬ車ゆえ、あちこちさわっているうちにスイッチに手が触れたのか。そうではあるまい。ニースのソフィーよ、君は実にけしからん。いたずらでないことはわかっているが、せめて貸し出し前の点検くらい豆にやりなさい、豆に。
 
 
 アンティーブのホテル「ドゥ・カップ」は従来の宿とは様相を異にしていた、クレジットカードは受け付けない、3泊以下の客は拒否される。宿泊日数の長短にかかわらず3泊分の料金を預かり金として銀行送金せねばならない。キャンセルの場合、3泊分は違約金として没収される。営業は4月から10月まで。
そのように自分本位で居丈高なホテルではあっても、従業員の応対とホスピタリティは申し分ない。庭は変化にとみ、手入れもすこぶるよい。広大な敷地にもかかわらず全体がうまく調和し、独特の洒落た雰囲気をかもしだしている。ペット同伴の長期滞在客用に、うっそうとした松林のなかに犬の墓まである。老犬が突然死してもだいじょうぶ、丁重に弔ってもらえるし、墓参にくるリピーターも確保できる。ホテル側の配慮というか戦略というか、7、8月二ヶ月滞在という富豪も多い。
 
 朝の散歩でカーク・ダグラス氏(マイケル・ダグラスの父)と声をかけあう間柄となった。彼はドゥ・カップを定宿にしているらしい。目にふれるものはみな高い宿泊料金だけのことはあると思った。
ところがメシがいけない。別棟のレストラン「エデン・ロック」で一日目の夕食をとったが、アラカルトの魚貝スープは海水に色をつけて温めたのではと疑い、鶏肉料理は香料と塩をぶっかけまくった、評にかからずというシロモノであった。うまいと思ったのは生ハムとメロン。旬の夕張メロンのような味がした。しかし、メロンは料理ではない。
 
 翌日からは外で夕食をとることにした。地元でもとめた数種のガイドブックに目を通し、これはと思うレストランに目印をつけ、コンシェルジュのなかの親切そうな初老の男に、「ロワイヤル・エクレール」はどうかと訊いた。なぜ初老かというと、舌の変化と健康上の理由から脂肪と塩分をひかえめにするので、私たちの口に合う味を示唆する可能性が高いからである。初老のコンシェルジェは、そこなら味もおすすめできるし、値段もリーズナブルとこたえた。
 
 「ロワイヤル・エクレール」は、二十人も入ればいっぱいになりそうな瀟洒なレストランだった。オーダーした料理の品数が多いとたしなめた給仕長は、白のジャケットに紺色の蝶ネクタイをした70歳くらいの紳士で、容貌はケンタッキー・フライドチキンのおじさん似で、身の丈190pを超す長身、肩幅もあったが、足がわるく左足をひきずっていた。
私は彼の忠告にしたがった。ワインを楽しむなら一品でも十分な量であった。彼はときおりパンを皿に継ぎ足し、そのたびにフォアグラのパテを添えてくれた。
ためしてみなさいと貝類のマリネやスモーク・ビーフを皿に置き、口に合うかどうか温かい目で私たち夫婦を見た。小さなレストランに時間がゆっくり流れ、
 
 料理の味も申し分なかったが、小さなレストランのあたたかいもてなしに満たされた私たちは、同じテーブルで明晩の予約を申し出た。給仕長はしかし、やんわり諭すように言った。「遠くから旅をして、同じ場所で食べるのはどうでしょうか」。「この町には、ほかにもレストランはたくさんあるのですよ」。
私は、ここの味が気に入ったことを力説した。料理にもまして温かいもてなしが‥とは言えなかったが。彼は当惑したような面持ちで、「では、明後日にしては」と言った。それでも私は、「いえ、明日来たいのです」と応えた。「‥そうですか、では明晩」。
 
 翌午前、グリマルディ城(ピカソ美術館)とナポレオン美術館へ、午後は海岸線をカンヌへドライブした。夏の地中海は、どこへ行ってもまばゆい陽光がふりそそぎ、こんがり小麦色に灼けた肌、形のよい乳房をあらわにした若い女を目にした。抜けるような空の碧さ、エメラルド色の海、大胆なデザインの水着、沖に浮かぶヨット、風に舞う色とりどりの気球などのすべてが美しく映った。
 
 そして夜、ロワイヤル・エクレールに行った、老人に会うために。
 
                        (未完)

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