旅行にはパジャマを二着持っていく。そのうち一着は処分寸前のパジャマであるが、旅先で何日か着用して廃棄する。10日〜2週間を過ぎるあたりから旅先で調達したもの‥図書&地図‥がスーツケースや予備の親子バッグに入りきらなくなって日本へ郵送する。レンタカーの旅が多いが、それでも荷物が増えると、荷物に追いたてられるような気がして小包にする。
航空機のステータスがCとかFなら重量30s、あるいは40sまで積めるけれど、Yの場合は20sまでゆえ、超過重量にもよるが、超過分代金を空港カウンターで支払うより郵便小包にするほうが安上がり。
リスボンへはミュンヘンからルフトハンザ機で移動した。ミュンヘンの前はザルツブルクに滞在し、ゴルデナー・ヒルシュ(ホテル)で捨てたパジャマは春秋用、リスボンのは薄手の夏用。10月上旬〜中旬の滞在となると、パジャマはそういう組み立てになる。そのパジャマはいつぞやバンコク、シンガポール用に購入した白のエスニカン。
これが当時としては不便きわまりないシロモノで前開きがなく、小用を足すには、いったんパジャマをずり下げなければならない。リスボン到着三日目の未明、前夜たらふく飲んだインペリアルという名のドラフト・ビールの新陳代謝がよすぎて目がさめた。バスルームでくだんのパジャマをずり下げ、逸品を取り出し、勢いよく放出したところ、細い滝が二手に分かれ、手前の滝がパジャマに向かった。
なんたる狼藉、ご乱行と逸物を戒めたが時すでにおそく、惨憺たるありさまとなった。それで、夜も明けきらぬまま洗濯する羽目になり、何も知らずスヤスヤ眠っている家内をおこさぬよう静かに洗濯し、干し終わってベッドにもぐり込み、すぐまた眠りについた。
どれくらい寝たろうか、「どうしたの、パジャマなんか干して」という家内の声で目がさめた。どうしたもこうしたもない、家内は状況を完全に把握した上で言っているのである、うかつに返事するのは愚の骨頂。
家内の声に続いて耳を襲ったのは、バルコニーから室内に入る騒音。すわ何事かと思い、バルコニーに出たら、通りを隔てたエドゥアルド7世公園で大々的に補修工事の真っ最中。えらいこっちゃとフロントにルームチェンジを申し出た。
公園側のほうが見晴らしはよいが、今日明日も宿泊する都合上、早朝から起こされてはたまったものではない。見晴らしより静寂。幸いにも、公園と反対側に空き部屋があった。ただ、掃除と点検に2時間ほどかかるとのことだった。それでよいと応えた私たちは、荷物をまとめた後、朝食をとりに「ダ・ラパ」(ホテル)へ向かった。「リッツ・インターコンチネンタル」の朝食は、卵料理とコーヒーの味がかんばしくなかった。
朝食後、「ダ・ラパ」のパティオを見学し、10時15分ごろホテルにもどると、「新しい部屋の用意ができたのでどうぞ。荷物はベルボーイが運ぶからそのままに」といわれた。
その日はコンシェルジを通してシントラ、ロカ岬などの観光用リムジンの予約をしていて、出発時間は午前10時半、予備のフィルムは部屋に置いてあった。部屋に入ってフィルムを数本携え部屋をあとにした。リムジンのドライバーはすでに来ていた。
ふたたびホテルにもどったのは、日もとっぷり暮れた黄昏時。新しい部屋に入ったら荷物はぜんぶ届いており、前の部屋より広く快適な一室だった。やれやれとソファに腰をおろし、フリードリンクの栓を開けたとき、バスルームに入った家内が素っ頓狂な声をあげた。
「エスニカン、あのままの姿で干してある!」
二人とも「ダ・ラパ」のうまい朝食と美しい中庭を堪能したせいなのか、パジャマのことなどすっかり忘れていた。
エスニカンは前の部屋のバスルームに干したままだったのである。パジャマを運んだベルボーイ、変に思ったのではないかしらん、パジャマの下だけ吊してあったから。
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