Bourton on the water
Bourton on the water
 
バートン・オン・ザ・ウォーター、いい響きだ。バイブリー、スローターズ、ストー・オン・ザ・ウォルド、
チッピングカムデンなど、車なら順路をどう選んでも、町から町へ25分以内の距離にある。
現に私は一日で上記すべてを車で回った。昼食はストーでとるのがよい。レストランの数が多い。
 
素朴な雰囲気にひたるならスローターズかバイブリー。俗化とはほど遠い田舎気分を満喫できる。
その点、バートン・オン・ザ・ウォーターはやや俗化されている。したがって観光客も多い。
 
冗漫な話はともかく、クロスグリの樹(上)が川面に大きな影を落とし涼感をさそう。
冬は積雪もあり、それ目当ての写真家を除けば人影はほとんどないという。
 
Bourton on the water
Bourton on the water
Bourton on the water
Bourton on the water
 
俗化は何が原因で蔓延するかというと。
実はよくわからない。わからないが確実に進んでいる。
 
バイブリーやスローター村に俗化の波が押し寄せていないのは、
住民の姿勢、ポリシー、そしてその継続。
 
公共駐車場(ここは有料。ほかの町はだいたい無料)近くにある衣料品店は
瀟洒なガラス張りで、ディスプレーが洒落ているから高そうにみえるが、
モノは一流、値段は三流で、日本では見られぬ可愛く洗練された衣料品がある。
 
Bourton on the water
Bourton on the water
 
小川を遊泳しているのはマガモ。頭部の緑、胸腹部の白さでオスとわかる。
鳥類の世界はクジャクやキジをはじめとして、オスが圧倒的に美しい。
 
Chipping Campden
Chipping Campden
 
ストーからブロードウェイに向かう道(A424)を、途中のB4081で右折すると
チッピング・カムデンへと出る。まるで時が静止しているのではないかと錯覚する。
そんな町のたたずまいにしばし時を忘れ、ただ立ち止まるのもいいかもしれない。
 
チッピング・カムデンの住民は駐車場建設反対派が多いという。
さもありなん、観光客の多くは車でやって来るわけで、ハイストリートを素通り
するツアー・バスのための駐車場を作ろうものなら、町は人でごったがえす。
 
住民のなかには観光客の落とすSmall Moneyを認識した上で静かな環境を
守りたいと考えている人もいると思うが、スローター村の住民同様、観光地化に
慎重な考え方の人が多いようだ、先のことはわからないけれど。
 
画像のマーケット・ホール(1627年)はかつての穀物取引所で、屋根は切り妻様式。
車道の両側の歩道には高低があって、それが町並みに微妙な趣を与えている。
 
Chipping Campden
Chipping Campden
 
マーケット・ホール内部。日中は外の暑さとはうってかわって涼しい。
涼をもとめて中で休息していたら、爽やかな風がサァ〜と通り抜けていった。
 
Chipping Campden
Chipping Campden
 
上はグリヴェルズ・ハウス(Grevel's House)。1380年、ウィリアム・グリヴェルが建てた。
 
かつて古い絹工場だった四つの建物はハイストリートに面しており、
建築に使用されている石材はコッツウォルズ特産のライム・ストーン。
ライム・ストーンは特別珍しいものではなく、コッツウォルズに行けばどこでも
これを使った民家を目にすることができる、ありふれた素材なのである。
 
1902年、アーツ&クラフト運動の提唱者のひとりチャールズ・R・アシュビー(1863〜1942)
がチッピング・カムデンに移住した。アシュビーはその前、ロンドン・イーストエンドに住まいした
建築家&工芸デザイナーで、田舎での斬新な生活を志向して移住を決意したのである。
 
アシュビーの移住した頃、農業の機械化による雇用者リストラで町はさびれつつあった。
彼はイーストエンドの工芸職人とその家族150人を伴っていた。それは町の人口の10%だった。
彼らは町の建物を自由に使用でき、絹織物工場跡に工房が、住民のために工芸学校がつくられた。
 
しかし経営ははかばかしくなく、この試みは失敗、6年後グループは解散を余儀なくされる。
多くの職人はロンドンへ戻ることとなったが、おそらく後ろ髪をひかれる思いだったろう。
 
アシュビーと共に移住してきた弟子の三代目(孫)が今もこの町の同じ工房で銀細工を
作っている。銀製品はおおむね受注によって作られ、工房見学も製品購入もできる。
高価な銀細工のほかにマーケット・ホールをデザインしたペンダントも購入可。
 
Chipping Campden
Chipping Campden
 
この古い住宅のどこかにアシュビーの弟子の孫(D・ハート)が住んでいる。
チッピング・カムデンの人口は約二千人、コッツウォルズ北部に位置する。
 
20世紀の大型機械導入はチッピング・カムデンに微妙な影を落とす。
若者は仕事を求めて都市へ流出し、逆に都市部からは定年退職者が移住。
十分な年金と貯えがカントリーサイド憧憬を実現する都市生活者を支えていた。
 
そうした傾向が続くと、必然的に町の人口に占める高齢者の割合は高くなる。
近年の統計によれば、住民の35%ほどが高齢者である。
近年の英国は好景気に恵まれ、諸物価は高騰、地価もつられて高騰。
 
特に、歴史的由緒のある家屋や茅葺きの家はプレミアがつくが、それでも売れる。
この町にも都市部から移住した富裕層と、そうでない人々との格差が存在する。
 
Stow on the Wold
Stow on the Wold
 
ストウ・オン・ザ・ウォルドのThe Squareと呼ばれる広場にはインフォメーション、銀行、
薬局などがあり、小さなホテルやB&B、小粋なパブやレストランもあり、町としての
機能はととのっている。6月半ばにしては観光客もそう多くはなく、静かな時が流れていた。
 
Stow on the Wold
Stow on the Wold
 
ストウは古来より交通の要衝として栄えてきた。The Squareは八つの道が
東西南北から交差している。路地裏には磁器やアンティーク・グッズを売る店もある。
 
Stow on the Wold
Stow on the Wold
Stow on the Wold
Stow on the Wold
 
Sheep Streetにある「Grapevine Hotel」のレストラン。
グレープヴァインの名のとおり、透明ガラス屋根の下はぶどう。
収穫にはまだ早いのに、小さな房が少しだけ実っていた。

前ページ 目次 次ページ