2004-05-20 Thursday
スローター村
 
 スローター村(スローターズ)のことは「COTSWOLDS」、「カントリーサイドの爽快」ほか各所に記したから、お読みになった方は「またか」とお思いかもしれない。スローター村はアッパースローター(Upper Slaughter)とロゥワースローター(Lower Slaughter)にわかれ、両村は徒歩30分ほどで行き来できる。
 
 イングランドのカントリーサイドの多くがそうであるように、スローター村も旅行案内書に派手に掲載するような何かがあるわけのものではない。何の変哲もない田園風景のなかに、小さな川、小さな橋、曲がりくねった小道、カントリーサイドに欠かせない生け垣、木々の葉がつくる緑陰、野生のウサギ、リス、マガモなどがいろどりを添えているだけである。
 
 ときおり思うのだが、旅行者のすべてが旅行案内書とか雑誌に写真入りで紹介された観光名所や、世界遺産めがけて押し寄せるものだろうか。旅行者のなかには、ガイドブックに掲載されていなくても、そこへ行けば何か見つかるかもしれない、思わぬ拾いものがあるかもしれないと密かに期待して旅に出る人もいるのではあるまいか。すくなくとも私はそうである。
 
 とはいえ期待は裏切られることが多く、それなら端から期待せず旅に出ればよいようなものだが、無欲の旅というのもつまらない。神さまだって、ささやかな欲望なら叶えてくださるだろうと心に期して旅に出る。
ところが、ささやかな望みも神の目からみればでっかい望みなのか、期待は往々にして叶えられることはない。しかしそれは何の前ぶれもなくやって来る。このときもそうだった。初夏、ストー・オン・ザ・ウォルド(Stow on the Wold)からの帰路、日が民家の屋根より低いところまで落ち、生きとし生けるものすべてをいたわり、いつくしむ黄昏どき、私を「Heart of England」へいざなってくれたのだった。
 
 あの季節、あの場所、あの時刻にしか見ることのできない、夕映えに耀くスローター村(写真はLower Slaughter)。アイ川にかかる小さな橋、緑陰、あのときの空気の匂い。それらは決してガイドブックに載らない風景である。
あのときの思いをどう表現すればよいのだろう。そこにいるだけで満たされ、私自身のよろこびがいったん空中にはじけ、飛散した後、脳を経由しないで直に血管に入ってきたという感じなのだ。魂を震撼せしめる風景をみたとき、感動が皮膚から入って鳥肌の立つさまに似ている。
 
 魂でさえ自らを知るためには魂をのぞきこむといったのは誰であったか、真に魂を揺さぶり、計り知れない安らぎと熟成、懐かしさをもたらしてくれるのは、観光客のどっと押し寄せる場所ではない。そんなところに魂がのぞきこむ何もののありえようはずもない。
 
 あの風景は世界遺産にもまさる心の風景なのだ。私はあのとき記憶の奥に封印されていた思い出と再会した。真に愛したもの、愛されたもの、真に影響を受けたものが何であったかを知ったのである。

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