ミディピレネー(南西フランス)・アヴェロン県西部に位置するナジャックはコルド・シュル・シェルから直線距離で北へ約20キロの小さな村。
 
人口は710人ほど(1872年の統計では2455人)で、家屋は小高い丘の上に密集している。真夏のミディピレネーの観光客は少なくない
のだが、そういう場所はできるだけ避け、小さな村を選んでみた。が、同好の士は同じことを考えるものである。
 

ナジャック城
ナジャック城
 
ナジャック城はルイ9世(1214−1270)の異母弟アルフォンス・ド・ポワティエによって1253〜66年に再建された。
 
城の起源は古代ローマ時代の要塞にまでさかのぼるというが、1100年ごろナジャックに城を建設したのはトゥールーズ伯爵。
坂道の多いのが幸いして、村のいたるところから城をのぞむことができる。ナジャック城は村の象徴であり、ランドマーク的存在。
 
城の左端の建物はサン・ジャン教会。
 
 
 
サン・ジャン教会
サン・ジャン教会
 
サン・ジャン教会は13−14世紀に建造された(初期ゴシック様式)。
 
 
ナジャック城からの眺望
ナジャック城からの眺望
 
村の家々は丘陵の頂上付近に居並ぶかのように建っているのが見てとれる。
 
 
 
 
 
 
 
 
ナジャック城
ナジャック城
 
 
 
ナジャック城 再建時の模型
ナジャック城 再建時の模型
百年戦争後、しばらく平和な時期はあったけれど、16世紀に勃発した宗教戦争(新教カルヴァン派と旧教カトリック教徒の抗争)
で城は荒廃し、17世紀半ばには農民が反乱をおこし、城は農民が占拠、その後城は使われなくなり、フランス革命を契機に
革命政府によって超安値(一説では12フラン)で宿屋の主に売却されたという。
 
宿屋の主が何をしたかといえば、民家を建てるための石材を城から切り出したのだ。再建時の城の規模が縮小したのは当然。
19世紀後半、再度売られた城は新所有者の手で改築され、アヴェロン県の観光地へと様変わりし現在に至る。
 
 
ナジャック城
ナジャック城
 
 
12世紀から14世紀後半にかけてのナジャックは、現在のアヴェロン県とタール・エ・ガロンヌ県など6県におよぶ地域の首都で、
14世紀から続いた百年戦争のさなか、イングランドに奪われたナジャック城を奪還したとある年代記は語っている。
 
 
 
 
 
 
 
 
坂道からのぞむナジャック城
坂道からのぞむナジャック城
 
 
 
 
城は町のいたるところから見える。
 
 
 
 
観光案内所
観光案内所
ナジャックにかぎったことではなく、ミディピレネーの小さな町や村の観光案内所には親切で明るいスタッフが待機している。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ナジャックは坂が多く、平らな場所を探すのは難しい。
 
 
屋外の平らな場所を利用して店を出している。
 
 
 
 
 
 
 
過疎の村に子どもがいるのを見るとホッとする。ただし、地元の子かどうか定かではない。犬を伴う家族旅行は多いから。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
朝霧  ナジャック城
朝霧  ナジャック城
 
子どものころ暮らした家に小規模の畑があって、イチジク、ビワなどの果物、トマト、キウリなどの野菜、矢車菊、ダリア、
カンナ、タチアオイなどの花を祖父が栽培していた。そのほかに鶏小屋(20羽ほど)もあり、朝、メンドリが産んだタマゴを
とりにいくのが私の役目だった。タマゴもトマトもビワもおいしかった。
 
夜明けごろ、一番鶏が鳴くのを合図に行動を開始するのが日常であったけれど、雨の日は鳴かず、曇った朝もさぼって鳴き声を
あげなかった。祖母が言っていた、「晴れた日は気分もいいから」。60年も前のことである。
 
1961年、祖父が亡くなってニワトリを飼うのをやめてしまった。自分が世話をするから飼い続けようといえばよかった。
 
南西フランスの小さな村を旅していると、一番鶏の声で目をさますことがある。車やバイクの音で目をさまされると不愉快だが、
ニワトリや夏のセミの鳴き声で目をさましても不快にならないのはなぜだろう。身体のなかにかれらと同じ何かがあり、自然と
一体化するからだろうか。
 
 
 
夏の花が好きなのは、子どものころの思い出がよみがえってくるからだ。長い夏休みのあいだは畑の花を目にする
時間はたっぷりあった。
 
夏休み、ニワトリを畑に連れだすのも私の役目だった。彼らを散歩させ血行をよくしてタマゴをおいしくするのである。
20羽もいるとなかには反抗的なヤツもいる。小屋を出るのをいやがったり、出ても歩こうとしないのだ。
歩かせようとすれば羽ばたいてジャンプし時間を稼ぐ。悲鳴をあげ、くりかえしジャンプするのには閉口した。勢いよく
羽を動かすので、素足にあたると痛いのである。
 
一番鶏の鳴き声を小さな宿の部屋で聞けるのも、山間にある過疎の村ならでは。
 
 
 
ゴシキヒワ
ゴシキヒワ
英国の町中でよく見かけるゴシキヒワ。南西フランスではミディピレネーの村でときおり見かける。
 
 
 
 
この子たちは地元の子であるだろう。
 
右側のアジサイは花期を過ぎて半分以上枯れている。ミディピレネーのほとんどの町や村では、7月上旬から花に色がつきはじめ、
標高の高い場所では8月中旬まで咲いている。
 
この日の午後は暑かった。京阪神地方に住み、真夏の暑さになじんでいる私は気温30℃なんて暑いうちにはいらないし、空気が
乾燥しているから体感気温はそれほどでもないにせよ、住民にとって30℃は異常高温である。地元の子どもが一息ついている。
日陰にいけばと言おうと思ったが、どこで一休みするかは子ども好き好きなので何も言わず通り過ぎた。
 
 
 
 
 
 アヴェロン川
アヴェロン川
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
いつだったか、伴侶にこんなことを言った。「自分が死んでも、死んだと思わないように。英国カントリーサイドの小さな町か、
ミディピレネーの小さな村に野鳥やニワトリとともにまぎれこんでいるか、あるいは、ミステリー映画のスクリーンのなかに
いると思ってね」と。
 
私が過去を忘れても、過去は私を忘れないような気がする。人は過去の幽囚であり、過去は人の幽囚である。
旅はそして生きてきた証をかたちづくるのだ。
 
「消えてなくなるものなんて一つもない。目の前からいなくなるだけ」。メリー・ポピンズのせりふです。