ベルカステル城 |
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ベルカステルはロカマドゥールからD247を北西へ10キロ、車で走れば15分、アヴェロン県の人口200人たらずの小さな村。
といっても、村のほとんどは人口500人以下なので、ベルカステル村だけが特に小村ということでもない。
村の象徴はベルカステル城。アヴェロン川に沿って素朴なすがたをとどめ、川沿いの散策は快適そのもの。城は村のどこから
ものぞめ、道なりに行けばおのずと城に到着する。
ベルカステルはロカマドゥール同様、サンチャゴ・デ・コンポステーラ巡礼の順路上にあったことで発展した歴史がある。
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アヴェロン川 |
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川に架かるのはベルカステル橋。城と民家、そして橋が一体化し、美しいハーモニーを奏でるかのごとし。
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ベルカステル城 |
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ベルカステル城の起源は9世紀に建造された砦までさかのぼり、13世紀の築城後、百年戦争でイングランドに包囲されたときも
敵の手に落ちなかったことから「難攻不落の城」伝説につつまれているという。
フランス革命後、城は長らく荒廃に身を任せたが、1975年に建築家フェルナン・プイヨン(1912−86)が修復をこころみ、8年の
歳月をかけて復元にこぎつけた。城は4月から11月まで一般公開されている。フェルナン・プイヨン著「粗い石」は建築家のあいだで
その名を知られている。
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ベルカステル橋 |
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民家の下をくぐりぬけると橋にでるという按配。小路の狭さ、小路=民家間の低さがなんともいえない。
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アヴェロン川 |
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アヴェロン川はタルン川の支流で、総延長は291キロ。
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ベルカステル橋 |
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バルカステル橋は車が通行できない細い橋だけれど、それがかえって歴史をしのばせ、城とともに名所となっている。
手すりの高くないのがいい。見晴らしがきくし、いかにも古めかしいという感じが記憶に残る。橋は15世紀に造られた。
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玉砂利 |
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石畳といってしまえば聞こえはいいが、英国イーストサセックスのライにある石畳の石ゴーブル・ストーンはいわゆる玉砂利で、
いくら玉砂利がライの名物といっても、なれない身には歩きにくい。雨でもふっていればなおさら。
ベルカステルでもこのあたりは玉砂利の石畳で、ゴロゴロ、ゴツゴツした感触が足の裏に伝わってきて接地感は芳しくない。
が、京都の寺に較べれば、玉砂利が動かないぶんマシである。足の踏み加減で石が動くと足をぐねることがあるのでタイヘン。
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ベルカステル |
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壁の石、民家の屋根に注目。シンプルな構造が数百年の時をへて頑丈であることを語っている。
手すりがついているのは、急勾配ということもあるが、雨で下が濡れるとすべりやすいからだ。
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ベルカステル |
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古さがわかる民家の屋根。こうした石屋根はミディピレネーの小さな村でよく見かける。14〜15世紀につくられた。
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B&B ベルカステル |
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このB&Bのロケーションは申し分ない。丘の中腹にあり、城にも近いし、ベルカステル橋にも近い。
短くてもいい、ここに5日ほど逗留する。そして午前中は散策したり、お茶してのんびり過ごす。午後はアヴェロン県、ロット県など
の美しい村々をドライブする。至福のときである。
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B&B |
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道行く人々、二往復もすれば顔なじみ。住民も旅人も少ないこと、人なつっこさがそうさせる。同じ人と何度も出会う愉しさ。
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ベルカステル城 |
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ベルカステル城より |
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ベルカステル城 |
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ベルカステル城 |
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ベルカステル城 |
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ベルカステル |
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ソーヴテール・ド・ルーエルグ |
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ソーヴテール・ド・ルーエルグはアルビからN88を北北東へ約45キロ進み、モンテメラックでD997を左折し、
北西へ9キロ進めば到着。
アヴェロン県西部の町で人口は約800人。13世紀後半以降、町の機能、行政、商業、職人の中核地として発展。
百年戦争勃発後、1362年にイングランド軍に占領されたが、1369年に奪還。以来、16世紀にいたるまで繁栄する。
1628年ペストが猛威をふるい、住民の過半数が犠牲になって町が疲弊、20世紀末まで衰退の一途をたどる。
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ソーヴテール・ド・ルーエルグ |
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ソーヴテール・ド・ルーエルグの中心にある広場は人影もまばら。
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ソーヴテール・ド・ルーエルグ |
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時計塔の針は午後6時40分をさしている。
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ソーヴテール・ド・ルーエルグ |
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この画像と上の画像は2枚セット。撮影地点、構図などが異なる。
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ソーヴテール・ド・ルーエルグ |
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木造の家が残されている。旅の途上、バスティードということばを知った。中世に出現した都市集落の総称らしい。
(伊藤毅著「バスティード フランス中世新都市と建築」中央公論美術出版)
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ソーヴテール・ド・ルーエルグ |
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この町には北、南などアーケードの数が多い。アーケードの多くは13世紀末から約100年間かけて造られたという。
中世からの遺構がそのまま商店、カフェほかに利用されている。
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ラ・クヴェルトワラード |
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ラ・クヴェルトワラードも中世に栄えた村。アヴェロン県の南東端に位置する。18世紀半ばには1075人の住民がいたが、
2014年度統計では182人。多くは酪農業、チーズ生産農家である。
ラ・クヴェルトワラードはアヴェロン県の大きな町ミヨー(Millau=人口21600人)からN9〜E11(高速道路)で南東へ
40キロ進み、La PezadeでD185を北東へ5キロ行けば到着。
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ラ・クヴェルトワラード |
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民家の上から見ると、屋根の素材、カーブ、古めかしいようすなどが歴史をしのばせる。
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ラ・クヴェルトワラード |
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ラ・クヴェルトワラード |
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さまざまな意匠も骨董品的な古さと美を感じさせる。
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ラ・クヴェルトワラード |
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ラ・クヴェルトワラードの名はすでに11世紀に登場し、12世紀には穀物と戦争用のウマ、食物&皮革用のヒツジの飼育がはじまる。
14世紀前半の大火によって当時の人口の60%、約800人が焼死したという記録も残っている。
15世紀半ば、大幅に自治を強化するのだが、15世紀末〜16世紀半ばの宗教戦争のあおりを受け、新教徒(ユグノー)の略奪が
横行し被害にさらされる。18世紀初頭にラ・クヴェルトワラードの住民は武装に踏み切り、自治も守られる。しかしフランス革命の
余波はここにもおよび、住民の財産は少なからず没収された。19世紀以降、紆余曲折をへながら現在にいたっている。
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ラ・クヴェルトワラード |
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観光客の潮が引くと、村は静寂をとりもどす。
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ラ・クヴェルトワラード |
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いまにも崩れ落ちそうな石段は日本の古いお寺に似ている。
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ラ・クヴェルトワラード |
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この建物、テンプル騎士団が12世紀に建てたという。
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