南西フランス・ミディピレネーのロット県東部の町フィジャックは中世からサンチャゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の
宿場町として栄えた。ローマ時代以来、様々な歴史にふちどられたフィジャックだが、9世紀初頭こんな山間部の奥地まで
ヴァイキングが押し寄せ略奪に精を出したとは、当時のヨーロッパでヴァイキングの存在が脅威となっていたのもわかる。
9世紀半ばにはフランス北部からわざわざノルマン人がやって来て、フィジャックの住民を殺戮した。殺されたのは
市民だけではない、修道士60人も犠牲となったのである。
そんな歴史のまにまに翻弄されたフィジャックが栄えたのは上述のごとく中世、13世紀になってからのことだ。
14世紀になってフランス国王から公民権を認められたフィジャック市民は、15世紀には市街にめぐらせる城壁、監視塔などの
認可も得た。国内で宗教戦争が勃発した16世紀、ユグノー(カルヴァン派=新教徒)の第10回全国宗教会議が開催された
のもフィジャックである。
18世紀に入って城壁は取り払われ、19世紀にはトゥールーズから鉄道が敷かれ、フィジャック駅が誕生する。
20世紀、第二次大戦中にフィジャックはレジスタンス活動の一大拠点となってドイツ軍に抵抗、ドイツはレジスタンスつぶしに
躍起になり、フィジャック市民約800人を逮捕、うち540人はハンブルグやミュンヘン郊外(ダッハウ)の強制収容所送りと
なったが、それでもレジスタンス活動はおとろえることがなかったという。
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