ルールマラン(Lourmarin)はボニューの南東10.5キロにある人口約1100人の小村。
 
12世紀クレメンス3世が要塞を建設したことで歴史の表舞台に登場したルールマランは、15世紀のシャトー再建が契機となって
周辺区と併せ人口約6000人を有するまでになった。16世紀、宗教改革の嵐に襲われ住民の半数が虐殺されたという。
ルールマランへの道中
ルールマランへの道中
 
この時期(6月中旬〜下旬)リュベロン地方のラベンダーは最盛期。車で移動しているとラベンダー畑が目に入ってくる。
 
 
ルールマラン
 ルールマラン
 
畑が多い。リュベロンは1年を通して晴れる日が多く、ヴォクリューズ山系の地下水が豊富で干ばつは少ないという。
村のどこかにアルベール・カミュ(1913−1960)の眠っている墓がある。
 
「カミュ=J・グルニエ往復書簡 1932−1960」(大久保敏彦訳 国文社)の1959年5月26日、ルールマラン滞在中の
カミュからグルニエ(1898−1971)に宛てた手紙に、「若いときには、誰でも個人的な進歩というものを信じ、
決意とか時間の使い方ひとつで、自分の欠点を修正できると思い込んでいるものです。
 
45歳になってみると自分が出発点と同じか、あるいはほぼ同じ地点におり、進歩への信仰も弱まっていることがわかります。
要するに自分と共存するしかないのです。」と記している。
 
 
ルールマラン オリーブ畑
ルールマラン オリーブ畑
 
干ばつに強いとされるオリーブの木も栽培されている。
 
ルールマラン 野菜畑
ルールマラン 野菜畑
 
あと3週間も経てば夏野菜の収穫がはじまる。
 
「アルベール・カミュ回想」(ジャン・グルニエ著 井上究一郎訳)に、「あのルールマランに彼(カミュのこと)が一軒家を買った
と私に告げて、『私もあなたの歩みのなかに足をふみ入れます』といってくれただけで十分であった。」と記されている。
 
ジャン・グルニエ。カミュが師と仰いだ哲学者・作家は「孤島」ほか数々の名著を残した。
カミュはグルニエが「孤島」を出版した(1959)さい序文を書いた。カミュが「孤島をはじめて読んだのは1933年、20歳。
「孤島」出版までの時間の長かったことがわかる。
 
カミュは序文に「いまはじめてこの孤島に近づく未知の青年を私はうらやむ。あえていうならば熱い思いをこめて」と述べている。
 
 
ルールマラン シャトー
ルールマラン シャトー
 
12世紀建造の要塞跡に建てられたシャトーは15世紀末〜16世紀、装いもあらたにルネサンス様式で再建された。
20世紀にリヨン出身の企業家によって買い取られ、彼の死後(1925年事故死)ヴィヴェートという財団夫人が所有している。
 
1930年と1931年の夏グルニエはローラン・ヴィベール財団の研究生としてシャトーに滞在したという(前掲書)。
シャトーは「小さな」ヴィラ・メディチと呼ばれ、夏期テラスでコンサートや演劇を催している。シャトーの入場料は7ユーロ。
 
ルールマラン 村歩き
ルールマラン 村歩き
 
 
ルールマラン 村歩き
ルールマラン 村歩き
 
リュベロンのほとんどの村の規模は小さく路地が多い。車は通行不可。ありがたい。
 
ルールマラン  テーラー
ルールマラン  テーラー
 
小路、路地歩きは楽しい。迷路があったり行き止まりになったり。突き当たりはテーラー&ブティック。
 
ルールマラン
ルールマラン
 
読書するつもりでいたのに突然まぶたが重くなり部屋でまどろむ。そんな風情の昼下がり。
 
 
ルールマラン コーヒーブレイク
ルールマラン コーヒーブレイク
 
カフェが軒先を連ね、3名の女性ウエイターが忙しそうにはたらいている。見たかぎりでは向こう三軒両隣のカフェの経営者は同じ。
 
 
ルールマラン コーヒーブレイク
ルールマラン コーヒーブレイク
 
カフェの手前には露店。
 
前述の「往復書簡」1960年1月1日によると、J・グルニエは1928年ごろルールマランの村役場で結婚式をあげた。
 
ルールマラン
ルールマラン
 
 
 
 
シルヴァカンヌ修道院
シルヴァカンヌ修道院
 
ルールマランの真南に位置するシルヴァカンヌ修道院は、D943を8キロ南下し、D561を右折して3キロ強。
夏の音楽祭で知られるラ・ロック・ダンテロン村(La Roque d’Antheron)にある。
 
東西の奥行き39メートル、南北29メートル、ファサードには3つの扉口、1つの丸窓、3連窓。中央の扉口は身廊へ、
両脇の扉口は側廊へつながり、3廊式構造となっている。
 
ゴルドに近いセナンク修道院(ラベンダー畑で有名)に較べて人影もまばら。院内は涼しく骨休みできる。入場料7ユーロ。
 
シルヴァカンヌ修道院
シルヴァカンヌ修道院
 
シトー会修道院のシルヴァカンヌ修道院はセナンク修道院、ル・トロネ修道院(プロヴァンス・ヴァール県ル・トロネ村)とともに
プロヴァンスの3姉妹と呼ばれ、シトー会の特長である簡素を標榜しているが、セナンク修道院に較べるとやや装飾が多い。
 
12〜13世紀(1160〜1230)寄進などによって建てられた。おおむねロマネスク様式だが、一部はゴシック様式。
14世紀半ばまで順調だったシルヴァカンヌ修道院は1358年の略奪に次いで15世紀のシトー会からの離脱もあり、
フランス革命直前には修道士が一人という衰退に追いこまれる。
 
フランス革命直後の1790年、シルヴァカンヌ修道院は強制的に解散させられ(フランス全土の修道会も同じ)、
国有化の後競売にかけられ、農業施設となってしまう。
捨てる神あれば拾う神あり、1834年、ナポレオン3世の側近で作家&議員&歴史的建造物総監メリメ(1803ー1870)の
視察を契機に修道院の運命は一変する。プロヴァンス3姉妹は国有化され、1840年、歴史的建造物に指定されたのである。
 
1845〜1938年にわたる長期修復工事のすえ修道院は中世のすがたをとりもどした。
2008年フランス政府から自治体に管理を移されたシルヴァカンヌ修道院は、修道院としての機能はなく、管理人とその家族
が入場料とコンサート会場貸し付け料などを主な収入源として維持管理しているという。
 
シルヴァカンヌ修道院 後陣バラ窓
シルヴァカンヌ修道院 後陣バラ窓
 
中央扉口から入ってすぐ、身廊の正面にある後陣の意匠。
 
 
ビュウー
ビュウー
 
ビュウー(Buoux)はルールマランの北10キロ弱に位置する。そこには切り立った崖に沿ってハイキングコースがあり、
頂上付近には中世の砦跡があるということで挑戦した。
 
ビュウー
ビュウー
 
 
ビュウー
ビュウー
 
 
ビュウー
ビュウー
 
 
ビュウー
ビュウー
 
 
ビュウー
ビュウー
 
 
ビュウー
ビュウー
 
 
ビュウー
ビュウー
 
断崖の上に砦がある。中世の敵の侵攻や16世紀の宗教戦争勃発時、村民が避難した場所らしい。
1660年、ルイ14世が破壊を命じたため砦は廃墟となった。片道70分のハイキング。
 
ビュウー
ビュウー
 
 
セニョン
セニョン
 
セニョンはビュウーの北東7.5キロ、ルールマランの北北東17キロに位置する小さな村(人口約1000人)。
ヴォルキューズ山系の谷間にあるためか村全体が渓谷に囲まれ、かつては断崖をくりぬいてつくった住居も見られ、
現在もそうした家が残っている。下に見える民家はおおむね17世紀に建てられた。
 
セニョン
セニョン
 
高台からの眺望がいいと聞いたのでやってきた。
 
セニョン 民家
セニョン 民家
 
あきらかに17世紀ごろではなく、さらに古い中世の雰囲気ただよう民家。
 
セニョン 民家
セニョン 民家
 
この住居は巨岩をくりぬいてつくられている。扉と窓はあとづけ。なかをみたいけれどなかなか。
 
セニョン
セニョン
 
 
セニョン
セニョン
 
 
 
ビュウーに別れを告げ、マルセイユ近郊まで南下し、仏映画「マルセルの夏」&「マルセルのお城」の
ロケ地オーバーニュのガルラバン山塊をめざす。
 
オーバーニュへ
オーバーニュへ
 
オーバーニュへ行く場合、マルセイユ経由は道路が混むから10キロ手前でD4に入り東へ向かう。D4は途中から
A50と並行して進む。オーバーニュまでほんの数キロ。標識「TOULON」の下「peage」(ペアージュ)は有料道路の意。
 
 
ガルラバン山塊が見えてきた。
 
オーバーニュ
オーバーニュ
 
オーバーニュからガルラバンをのぞむ。標高710メートルの山頂は平たい。
オーバーニュ(Aubagne)はブーシュ・デュ・ローヌ県にあり、盆地状の町の人口は約45000人。
 
マルセイユから車で25分(20キロ弱)のところにあり、週末や夏のバカンスはハイカーが訪れる。
 
ガルラバン山塊
ガルラバン山塊
 
オーバーニュの中心部から1時間も歩けば頂上はすぐそこだ。
 
1990年製作フランス映画「マルセルの夏」、「マルセルのお城」の舞台はガルラバンと山小屋ふう別荘である。
夏、美少年マルセルはガルラバン山塊を歩いているとき地元の少年リリと出会う。リリとの交流を通じてマルセルは
自然のすばらしさに開眼する。
 
ガルラバン山塊
ガルラバン山塊
 
マルセルが愛したガルラバンは「マルセルの夏&お城」の原作者マルセル・パニョル(1895−1974)の愛した自然でもある。
映画の冒頭、ガルラバン上空から撮影カメラは、スクリーン狭しとごつごつした山塊を一周する。音楽もステキ。
 
2018年秋、大阪、東京の一部の映画館で「マルセルの夏」と「マルセルのお城」が上映される。
少年時代、山や森に接した経験をもつ者必見の不朽の名作。この映画によって私たちの感性がためされる。